委員長として迎えた春学
桜舞う春のおぢばといえば、「春の学生おぢばがえり」に帰参した学生たちの元気な姿が印象的です。
今年はオンライン上での開催となりましたが、中止を余儀なくされた昨年を思えば、形は違えど、開催されたことを大変うれしく思います。
私も学生時代、学生会活動に没頭した一人です。4年生時には、委員長の大役まで務めさせてもらいました。そんな委員長として迎えた春学で忘れられない思い出があります。
それは、当時「後夜祭」の中で行われていた「フィナーレ」という春学を締めくくるイベントでの出来事です。
「フィナーレ」では、最後に委員長があいさつをするのですが、それにはちょっとした演出があります。暗転の状態で舞台袖に待機し、バックミュージックが流れるとともにステージ中央へと進みます。
同時に、左右からスポットライトでパッと照らされ、あいさつがスタート。真っ暗な状態で待機していたところからスポットライトで急激に照らされるため、視界は真っ白になります。それはまるで、真っ白な雲の上に立って話をしているような感覚です。
そうしてあいさつを終えた時でした。母の姿がパッと目に飛び込んできたのです――。ライトのまぶしさで、視界はまだはっきりとしていません。
ましてや、会場は5000人以上の人であふれています。誰が誰だか分からない中、母の姿だけがはっきりと見えたのです。
親々のおかげで
母は、私が小学校3年生頃から病を患い、ほとんど寝ている状態でした。ですから、母はめったにおぢばに帰れませんでした。ましてや、中学・高校・大学と、私のどの入学式や卒業式にも参加できたことはありません。
そんな母が私の晴れ舞台を見に、地元である長崎から来てくれたのです。それだけで、本当にうれしかった。
そして、母の姿が目に飛び込んできた瞬間、「この人が私を生み、育ててくれたから今の私がある。何より、両親が私に信仰を伝えてくれたから、これほど素晴らしい舞台で、大勢の人を前に自分の思いを話すことができるんだ。自分の力でこの場所に立っているのではない。親々のお徳のおかげなんだ――」。心底そう思うと同時に、ありがたくてありがたくて、涙が止まりませんでした。
信仰は、代を重ねることで理が深くなると教えらますが、まさに私は、親々が伏せ込んでくれたお徳のおかげで、そうした大役を務めることができたのです。