ほろ苦いジュース
世間の常識と自分の感覚。そのはざまで時に心が揺れる。
大学を卒業して、某メーカーの新入社員の頃であった。休憩時間に、教育係の女性リーダーに付いて上司や先輩方にジュース配りをするのが私の日課の一つだった。
そのジュース箱をワゴンに乗せた時のことである。
「私、どれにしようかナー」と、その女性リーダーは、自分好みの物を選び始めた。そして、「君も先に好きな物を取っておいていいよ」と言って、ニィッと笑って右手の親指を突き立てた。
リーダーの気遣いは痛いほどありがたい。でも、「それ、駄目じゃないですか」と、思わず口に出しそうになった言葉を飲み込んだ。上司や先輩方を差し置いて、それはないだろうというのが自分の感覚だったのだ。
「僕、どれでも残った物でいいです」と言うと、
「君は、いつもそれなんだからナァ。せっかく選ばせてあげているのに……」とにらみつけられた。
甘くておいしいはずのジュースが、ほろ苦い味であったことを思い出す。
世間の常識に流されない
「自分さえよければ」という考え方を捨て、「お先にどうぞ」という慎みの心を持つよう努める。
日々の暮らしの中で、そうしたいわばお道の信仰者としての当たり前の姿勢を貫くことは、実際にはなかなか難しい。
人と人とのつながりが制限されている、今の世の中、そんな時だからこそ、こうしたお道の当たり前がより求められると思う。
自分本位の損得勘定をぐっとこらえたり、暑い寒い、雨だ曇りだなどの日々の天然自然の恵みに不足してしまう心を戒めることも、その一つかもしれない。
もちろん、そうした生き方を徹底することは、気が遠くなるほどに難しい。けれどもお道の信仰者として、教えの実践を日々コツコツと積み上げていく努力をし続けたい。
そして、私たちが日々の中で意識すれば、「誠の人の輪」が広がり、陽気ぐらしの「にをい」がおのずと人から人へ伝わると思う。
そんな私は、いま念願かなって教会専務の毎日を送っている。
「自分は、何もかも後回しで結構、粗末なもので結構、小さなもので結構」と言えるよう自分磨きに励み、道一条に通れる幸せを感じつつ、世間の常識の前でも心倒れない、「なるほどの人」になれるよう努力していきたい。