今の私があるのは……
皆さんは、自分の人生を振り返ってみたとき、苦い思い出ってありますか?
つらい時期を思い返した時、私は自分のことが嫌いでした。なんであんな心使いをしてたんだろう。どうしてあんな態度しか取れなかったんだろう。考えれば考えるほど、思い出したくない自分。
そんな私が前向きに考えられるようになれたのは、近くにお道の教えがあったからでした。
教会で生活させていただいてた私は、おつとめの後に拝読する『おふでさき』、『稿本天理教教祖伝逸話篇』、「みかぐらうた」など、さまざまな教えに触れる機会がありました。しかし、その時はただ読んでいるだけで、何も気付けませんでした。
そんな時、ある年の学生生徒修養会のスタッフ事前研修会に参加させていただくことになりました。
学修に参加したことがある方は分かるかと思いますが、グループタイムの中に「ライフライン」というプログラムがあります。これは自分が生まれてから今までを振り返り、グラフ化するというもので、そのプログラムを受けている最中に思ったのです。
確かに、あのつらかった時期は、グラフが極端にマイナス側に傾いていたのですが、不思議なことにその後に続くグラフは、その時より下がっていなかったのです。むしろ、先になるにつれてプラス側に上がっていることに気付いたのです。
この時に誰かからこの言葉を言われたから考え方が変わった! というわけではなく「今の私があるのはあの時があったから」という言葉が本当にその通りだなと思えたからです。
いつの自分も、どんな自分も
先に何の楽しみも持てずつらかった時や自分がどうすればいいのか分からなくなった時があったからこそ、今まで読んでいるだけだったお道の教えや教祖のひながたが、より一層身近に感じられるようになり「お道の教えってなんて素晴らしいんだ!」と、改めて信仰の素晴らしさに気付くことができました。
教祖のひながたってこんな感じ? こんな風に考えたらいいってことかな?
そのように意識して過ごしているうちに、少しずつ教えに近づいた考え方が身に付いていき、だんだんと人と関わることが楽しくなって、明るく過ごすことができるようになりました。
つらい時期のおかげでお道の教え、教祖のひながたを身近に感じられるようになり、お道の教え、教祖のひながたを学び実践したことで、新たな自分に気付けました。
いつの自分も、どんな自分も、自分自身。
どんな経験も、親神様が私たち一人ひとりに用意してくださった大切な経験。人生はいろいろなことがあるけれど、それがこれから先、必ずプラスになる日が来ると信じて、過ごしてみるのも一つの考え方としていいんじゃないでしょうか?