岡部晋輔「教えってありがたい」

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夫婦での話し合い

2月上旬、夕づとめの際、拍子木を打っていた私の耳に、参拝場からいつもより悲壮な娘の泣き声が聞こえた。直後、おそらく妻がすぐにその子を抱えて回廊をドタドタ走る様子も感じ取れた。

夕づとめを終え、先に部屋に戻っていた妻と泣き喚く3歳の長女のもとに駆け寄った。聞けば、どういう訳か参拝場にあるストーブに顔面からぶつかり、鼻頭と上唇あたりに火傷を負ってしまったとのこと。

応急措置を済ませ、保冷剤にタオルを巻いて患部に当てがいながら、妻は悲しげな表情をしていた。すぐにおさづけを取り次がせていただいて、我が子にお見せいただいた出来事に、親である私たちの心遣いに間違いはなかったか反省し始めた。

自分にお見せいただく身上ならまだしも、我が子に見せられる身上は、自身の身上以上に深く反省させられるものである。できることなら代わってやりたく、ましてや女の子の顔の真ん中の火傷であるから、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

子どもたちが寝静まった頃、夫婦の会議が始まり、妻が「これは神様からのどういうメッセージなんだろう」と私に問うた。私も浅はかな思案を巡らし、「火はをもたりのみことさま、皮膚はくにさづちのみことさま、どちらも女神様やなー。妻に子育てを任せっきりになってた私へのお仕込みやと思うんやけど違うかな?」と聞いてみると、妻はしっくり来てないようであった。

そこからまた夫婦で思案を巡らし、私に心当たりのある心得違いがすっと思い浮かんだので、そのまま妻に話してみた。「やけどは火の傷と書くけど、関西弁で『やけど』と言えば、 『だけど』や『でも』といった言い訳や否定に使う言葉やなー。本来もっと信者さんのところに足を運んだり、おぢばでお願いづとめを勤めさせていただいたりしなければならないところを「やけど忙しいから」「やけど時間がないから」と、やけどやけどの心遣いをしてしまっていた。それを長女に火傷として見せていただいたんやと思う」。すると妻も、「私もそういう心使っていたかもしれん」と納得してくれ、その心遣いを神様に対してお詫び申し上げ、反省させていただいた。

教えのおかげで

病院に数日通い、幸いにもお医者さんからは、痕は残らないでしょうとのことで、夫婦で胸を撫で下ろし神様に感謝申し上げた。同時に教えって本当にありがたいなと心底感じた。もし教えがなければ、長女が火傷をした時に、私は妻に「どうしてちゃんと見ておかなかったんだ」と怒鳴り、妻も「そんなこと言うならあなたが見てたらいいじゃないの」と怒鳴り返され、積もり重なり夫婦離別というのも、あり得ない話ではない。

思案、悟りの正解不正解は別にして、教えのおかげで一つ一つの出来事に親神様からのメッセージを探し、つかみ、少しづつ成長させていただけるんだと思う。

さまざまなところでお見せいただく身上事情は、辛く厳しいものであったりする。しかし、そういったふしに直面するたびに、親神様が成長のチャンスをくださってるんだと心を切り替え、夫婦、家族、支えてくださる方々と共に、成長していきたいと心から思う。

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