お供えは、おつとめやひのきしん、にをいがけ、おたすけなどの親神様に対するご恩報じの信仰実践のうちの一つです。「ひのきしんはしないといけないんですか?」とはあまり聞きませんが、お供えはお金に関することなので、損得などの感情が混ざってしまいますし、
金や物でないで。救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けてほしいと願う人を救けに行く事が、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』72「救かる身やもの」
とのお言葉もありますので、そう思うのかもしれません。
しかし、一方で教祖は、
命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。(中略)早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。(中略)惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』178「身上がもとや」
とも言われています。
お金は人間にとって生活する上でとても大切なものです。その大切なお金を出すことは真実をささげることです。人に対してもお祝いやお礼などをお金で表すことからしても、それが伺えると思います。
また、お供えのことを「おつくし」と言われますが、これは親神様・教祖に尽くす、お道に尽くす真心をお金に表して尽くすことから、「おつくし」と言われるのです。ですから、お供えで集まったお金は、お道の発展の上で使われることを願った信者の真心の表れだということも忘れてはいけないことです。
明治22年に、ある教会の信者さんたちがひのきしんをする際におそろいのハッピを着たのが、天理教におけるハッピの起源だそうです。
現在、私たちがおそろいのTシャツやウインドブレーカーを着るような感じだと思いますので、もともとはおそろいのひのきしん着ですね。それがたくさんの教会に広がって、教会名を背中に入れていたのですが、昭和2年に、現在のハッピの背中に「天理教」の文字を入れ、左えりに本部直属教会名を入れ、右えりに所属教会名を入れることに統一したそうです。(『改訂 天理教事典』745~746頁)
現在では、正式な場でも、ひのきしんをする際にも着られる便利な服となっています。
長い間、お道の「?」を一緒に考えましたが、教えを聞いたり、天理教の歴史を勉強する中に、必ず「?」は付いてきます。その「?」に対して、ごまかさずに真摯に向かっていくことはとても大切な態度であると思います。
すぐには納得できないことも、お道を通る中で「なるほど」と得心することもあります。どうか、若い皆さんには、これからも道を求めて成長してくださることを期待します。
最後に、不勉強な私に、このような勉強する機会を与えてくださった編集部の皆さんに感謝して、連載を終えたいと思います。ありがとうございました。
※『Happist』2018年3月号掲載