川口智子「今の苦しみは先の楽しみ」

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期待して参加した学修

私は高校3年生の時、初めて学生生徒修養会というものを知った。教会の方に誘われた学修。経験者は「学修は本当に楽しい!」「学修最高!」と口をそろえて言う。

ホームページやパンフレットを拝見し、キラキラした笑顔で心から楽しそうな写真や“一生の絆!”などの言葉・・・・・・

自分の経験したことのないようなことが待っている・・・・・・、と思うワクワク感。

「人生変わるかも」と思って期待して参加した。

学修の1週間はもちろん楽しかった。良い友達もできたし、カウンセラーの人も良い人だった。ただ中日から「早く終わらないかな」と思ってしまう自分がいた。

迎えた最終日、みんな涙を流し感動に浸っている中、私は感動できなかった。何が原因でもなく、周りほど楽しめていない自分がいた。

自分の心の内を誰にも話さず仮面をかぶり、1週間が終わった。「学修最高!」と思えず私の中で学修のイメージが変わった。

カウンセラーとしての学修

24歳の時、初めて学修のスタッフのご用に声が掛かる。「え? あの学修? 100%楽しめていなかった私がスタッフなんて・・・・・・」と内心申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

初めて受け持つ班員の子たちは本当に素敵な子ばかり。その中に自分と似ている子がいた。毎日笑っているし、楽しんでくれている・・・・・・、でも何か自分とかぶるのだ。班のみんなで感話をする時間、その子は「学修最高!」と言った。

カウンセラーとして“楽しんでくれている!”と思う自分と、自分と重なり“本当に?”と思う自分。その子に本当はどう思っているか聞くと「・・・・・・実は早く帰りたいねん」と。

私はなぜかその言葉に安心した。そして自分の学修の時の話をした。痛いくらい気持ちが分かると。私の学修の時の経験は、この子の気持ちを心から分かるための経験だったのではないかと思うほど自分に似ていた。

今の苦しみは先の楽しみ

スタッフをさせていただくようになり、数年たってやっと学修の本当の意味を知ったように思う。

教祖(おやさま)は先回りしてくださっていたのでは・・・・・・。学生時代の経験は私には必要な時間だったと確信し、ありがたい気持ちでいっぱいになった。

ある寮長先生にこの経験を話した時「おぢばでの時間に無駄はない。引き寄せてもらって教祖のお膝元で過ごした時間は必ず意味がある」と教えていただいた。

今の苦しみは先の楽しみ。

信仰していれば、ありがたかったと思える日が必ず来る。それが何年かかっても、必ず喜べる日が来る。私は心から信仰していて良かったと感じている。

悩むことも立ち止まることもあると思います。ただその経験は決して無駄ではありません。つらい経験こそ先々誰かの心に寄り添うことができるかもしれません。

経験こそ人柄で、人柄こそ信仰だと思います。

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