「人に喜んでもらおうチャレンジ」
24歳の誕生日を迎えた朝のこと。
「おめでとう!」という家族からのお祝いの言葉を待っていましたが、きれいさっぱり忘れ去られていました。ちょっぴり寂しい誕生日の幕開けでした。
いつものように電車で仕事場へ向かっていると、私が座っている前におばあさんが乗ってきました。とっさに席を譲ると「ありがとう、ありがとう」と、とても喜んでくださり、私もなんだかうれしい気持ちになりました。
その時まで私は、誕生日は人に祝ってもらうものだと思っていました。しかし、電車でおばあさんに感謝された出来事がきっかけで、ただ祝ってもらうことを待つのではなく、周りに感謝して過ごすことにしました。
誕生日までの24年間を元気に過ごせたのは、親神様の日々変わらないご守護と、生み育ててくれた親、そして周りの人たちの支えがあってのことです。
そこで「無事に24歳を迎えられたお礼に、今日一日で24回、人に喜んでもらえることをしよう!」と思い付きました。
トイレ掃除やゴミ拾いをしたり、相手のいい所を見つけて伝えたり、いつもは聞き流してしまう上司の世間話をしっかり聞いてみたり。思いつく限りのことを実践してみました。
自分で24回と決めましたが、これがなかなか大変で……。
しかし、一日中人に喜んでもらえることを探しながら過ごしていると、不思議と私の心も喜びであふれていました。
このことから、誕生日は祝ってもらいプレゼントをもらうばかりの日ではなく、親々をはじめ、周りの人へ感謝の心をささげる日なのではないかと感じました。
感謝の心を行動に
日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる。
『天理教教典』第8章「道すがら」76ページ
自分のことばかり考えていると、不足の心が湧いてきてしまいます。しかし、親神様のご恩に感謝して、喜んでいただく通り方をしたら、自分の心も温かくなり、喜びであふれてきます。
私が誕生日に人に喜んでもらおうと思ってやっていたことは「ひのきしん」なのだと気付きました。
親神様のご守護は日々絶え間ないものです。1日1回でも、感謝の心を態度や行いに表せたらいいですね。
ちなみに初挑戦となった「人に喜んでもらおうチャレンジ」は、わずかに24回に届きませんでしたが、次の日もチャレンジを続けて、人に喜んでもらえることを探しました。