「私」を見てくれた友達
皆さんにとっての幸せは何ですか?
体が健康であること、お金がたくさんあること、恋人や家族がいること、地位や名誉を得られること、人それぞれの幸せがあると思います。自分は幸せだと胸を張って言える人もいれば、自分は不幸だと思って生きている人もたくさんいると思います。
自分が不幸だと思う人はよくこういうことを言います。
「神様は不公平だ」
私も小さい頃はよくそう思っていました。自分の家庭環境に喜べず、幸せな家庭をうらやむようになっていました。
そんな私の心を変えてくれたのは天理教学生会との出会いがきっかけでした。教祖130年祭学生おぢばがえり大会の年には岡山教区学生会委員長を務めさせていただきました。しかし、人前で話したりするのが苦手な私はいつも裏方のような立ち位置にいました。
そんな私の姿を見て、「1番アホになって盛り上げて人を楽しませる。それが委員長の役目やで」と言ってくださった学担の先生のおかげで、今の私があるように思います。それからは殻を破り、今まで避けてきたことに挑戦しました。
大会に300名の心定めをしていたので、1人でも多くの学生に参加してほしいと必死に声を掛けました。そんな中、ある行事に同じ学校の未信仰の友達を誘うとその子たちが行事に来てくれました。
来てくれた子たちが私に対して、「天理教って隠すようなことなん? 恵美子がやってることやったら悪いことだと思わないよ」と言ってくれました。この言葉を聞いた時、神様から言われているように感じました。
二代真柱様は
天理教を知りたければ私の行動を見て下さいと、この一言がずばりと口から出せるように諸君がなつてほしい
中山正善著『おふでさき概説』より抜粋
と仰っています。
友達が天理教ではなく、私を見てくれていることや、私の日々の言葉遣いや行動がにをいがけにつながることに気付きました。
みんな幸せになってほしい
苦労の先に迎えた大会当日は岡山から296人の学生がおぢばへ帰ってくださいました。結果として目標には届きませんでしたが、例年の3倍の数の学生がおぢばへ帰ってくれました。 やってきたことを神様が受け取ってくださり、大きな喜びとして返してくださいました。
難儀さそう不自由さそうという理はないで。
『おさしづ』明治28年12月1日
しやハせをよきよふにとてじうぶんに
『おふでさき』第2号42
みについてくるこれをたのしめ
子どもに不幸になってほしいと思う親はいないように親神様、教祖もみんなに幸せになってほしいと思っています。辛いことが起きた時でもその親心を受け取り、喜びに変えていくことで幸せが身に付いてきます。喜びに変えていく方法は、教祖がひながたとして残してくださっています。親神様・教祖の思いに沿って通らせていただいたその先はきっと楽しみであふれています。