武内ゆり「ちょっとだけつらい話」

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落ち込む日々

私にとって父親のような存在だった叔父の話をします。私が4歳の時、父が出直し、その後を母が受けて教会長になりました。母をたすけるべく叔父家族は教会の役員として、教会で生活をしながら、さまざまなご用をしてくれていました。そんな叔父は教会にとっても不可欠な存在でしたが、今年の9月に出直しました。

3年前、末期の胃がんの宣告を受けた叔父は、手術と入退院を繰り返しながらも、教会にいる間は、一生懸命ご用を務めていました。今年の暑い夏の日、1人で草取りをしている姿を見かけ「暑いですから、無理しないでくださいよ」と声を掛けました。すると「ありがとう。こうして動けることがありがたいんよ」と返ってきました。いつもコツコツとひのきしんに励んでいた笑顔が今でも目に浮かびます。

叔父の出直しで、落ち込む日が続いていました。今までいろいろな先生から、起こってくることは親神様の親心と聞き、もちろん私自身もそう思っていましたが、叔父の出直しは本当に悲しく「出直しも親心なの? 喜べるわけがない」と思わずにはいられませんでした。

一れつたすけたい

そんな中、この事情を知っている人からLINEが届きました。「なぜ、あの人が? と神様を疑ってしまうこともある。神様は一人をたすけたいのではなく、一れつをたすけたいから、その方の出直しを通して周りを成長させたいんだろうなと思うことがある。周りの人も出直した人も含めて、一れつをたすけたいと思っておられる。だからこそ、出直しの意味が生きるよう、今生かされている私たちがその意味を求めないといけないなあ~」と。

どんなに生きていてほしい人でも、いつかは出直してしまいます。自分の思い通りにはなりません。親神様からお借りしている体である以上、いつかはお返しすることになります。この体や私の周りのものはすべて親神様からの「かりもの」であること、「かしもの・かりものの理」の教えを身に染みて感じ、その大切さを叔父の出直しを通して改めて気付きました。

毎日の生活の中で、自分にとって不都合なこと、喜べないことも起こってきます。その出来事はすべて、親神様からのメッセージであり、涙や悲しみの中にも親神様の「たすけたい」との親心があるのではないでしょうか。その親心に気付くことで、それまで見えなかった喜びに気付くことができるように思います。

叔父の出直しを通して、親神様の大きな親心は何か、と考えているところです。父の出直しの時は4歳だったので、何も感じなかったのですが、今回の叔父の出直しで、「かしもの・かりものの理」を深く考える機会を与えていただきました。

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