市村知佐「続いてこそ道」

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祖母に憧れて

私の祖母は30歳前後で3度も出直しそうになりましたが、その中を神様にたすけていただき、さらに信仰熱心な人となりました。特に3度目の身上の時、母は当時2歳で、祖母は親神様・教祖に「どんな中もたすけ一条で通らせていただきますから、4人の子どもたちが立派に成長してそれぞれが一人前になるまで命をお貸しください」とお願いしたそうです。

祖父のおさづけとお願いづとめによりたすけていただいた祖母は、たすけ一条の心で毎日朝から晩まで、にをいがけ・おたすけに奔走しました。祖母はいつも「何とかたすかってもらいたい」というたすけ一条の情熱にあふれていて、おたすけが大好きだったそうです。祖母の願い通りに子ども全員が成人して家庭をもった後、祖母は60歳で出直しました。

その後に生まれた私は、母から祖母の話を聞いており、誇りに思っていました。そして、17歳になった私は毎月別席を運び、ご存命の教祖からおさづけの理を拝戴し、ようぼくとならせていただきました。

しかし、大学2年の時に辛いことが重なり、「何で神様は私にこんなに辛い思いをさせるのだろう」と落ち込んでしまいました。

そんな中、学修大学の部の時期が近づいてきました。当時は学修に行きたくない気持ちでいっぱいでしたが、ふと「学修にいけば今の自分に何かヒントをもらえるかも」と思い、迷った末に参加を決めました。

お道を通る喜び

学修が始まると、驚くことにどの講話も当時の悩みにぴったりな内容ばかりで、今の自分に起きている辛いことの奥には親神様の親心があるのだと気付きました。

そして、当時の学修は奈良や大阪の駅に行き、班のみんなでにをいがけをする日がありました。私は奈良のとある駅周辺で、道ゆく人にパンフレットをお渡ししていると、偶然通りがかった2人の女性のところへカウンセラーさんが私を連れていきました。

お二人は姉妹でお道を信仰されており、妹さんにご身上があったので、私はおさづけを取り次がせていただけることになりました。

とても緊張しましたが、その方のたすかりを願って必死におさづけを取り次がせていただきました。お二人はとても喜んでくださり、私の心も喜びでいっぱいになりました。

そして、おたすけが大好きだった祖母のことを思い出し、「私も誰かのたすかりを願って生きていきたい!」と心から思いました。この学修での経験は、私にお道を通る喜びを教えてくれたのです。

神様は

つゞいてあつてこそ道といふ、つゞかん事は道とはいはん、いへやうまい

『おさしづ』 明治39年5月21日

と仰せくださいます。

教祖お一人から始めてくださったこのお道を、親々が続いて信仰してきてくれたおかげで、今の私がいます。私もこのお道をつないでいけるよう、祖母のようなたすけ一条の心で、私らしくお道を歩んでいきます。

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