姪の問いから
「なんで親の言うことを聞かないといけないの?」
ある日、小学3年生の姪が私に問いかけてきました。普段「言うことを聞きなさい!」と、親に怒られているからこそ、親ではない私に聞いてきたのかもしれません。
「子どもの安全とか、社会のルールを守れるように言ってくれていることだからじゃないかな」と、教科書通りの返答をしましたが、姪は「ふーん」と納得がいかない様子でした。
その後も、この問いが私の頭から離れませんでした。
「どう言えばよかったのだろう?」
「何でも親の言う通りにすればいい、というわけでもないよな…」
振り返れば、私自身は子どもの頃は反発ばかりしていました。「うるさいなぁ」「なんで分かってくれないの?」と、親の思いなど理解しようともしませんでした。
けれど、大人になり、進路に悩んだ時、仕事を辞めたくなった時、病気になった時…。「確かにあの時の言葉の通りだった」と、思い返すことがたくさんあります。それと同時に、親がどれほど深い心で自分を思ってくれていたのかが少しずつ分かってきました。
信仰も、これと同じではないでしょうか。
親だからこそ、時には子どもに厳しいことを言うように、一見納得できないことや、つらい出来事もすべて、子どもをたすけたい、陽気ぐらしへ導きたいという親神様の親心からお見せくださっているのだと感じます。

子どもを思う親の気持ち
教祖は、次のようにお教えくださっています。
神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親とおんなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで。
稿本天理教教祖伝逸話篇 104「信心はな」
神様は、遠く離れた存在ではなく、子どもである私たちに幸せになってほしいと願う親そのものなのです。
親の思いを知り「では、どうさせていただいたらよいか?」を考えた時、まず頭に浮かぶのが親孝行です。しかし、ただ親の言うことを聞くことが親孝行なのでしょうか。
以前、母に「何が親孝行だと思う?」と尋ねたことがあります。
母は「あなたたち子どもが幸せでいてくれるのが親孝行よ」と答えてくれました。
これこそが、人間の陽気ぐらしをご覧になって共に楽しみたいと願われる、親神様の思いと重なるのだと、深く納得したことを覚えています。
もちろん、親子関係はさまざまです。人間同士ですから上手くいかないこともあれば、さまざまな事情もあります。それでも、自分を産み育ててくれた恩や、その根底にある「幸せを願う思い」に目を向けることが大切なのだと思います。
そう分かってはいても、いまだに素直になれず反省ばかりの毎日ですが、心配ばかりかけてきた親に安心して喜んでもらい、そして親神様にも喜んでいただけるように通らせていただきたいものです。
冒頭の姪の問いに、今の私が答えるとしたら――納得してくれるかは分かりませんが、こう伝えたいと思います。
「お父さん、お母さんが安心して喜んでくれたら、神様も喜んでくれるから。だから『あなたに幸せになってほしい』っていう親の気持ちを覚えていてね。」

