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15歳からの教理

天理教教会本部准員/天理教山名大教会長 諸井 道隆

第8回 陽気ぐらし


人をたすける心に

平成元年、高校を卒業したばかりの私は、アルバイトをして貯めたわずかなお金を持ってバックパック一つで日本を飛び出し、メキシコ南部の国境地帯を旅していました。

極貧旅行でしたが、すべてが初体験で、アメリカからバスを乗り継いで、好奇心のままに南へ南へと町を渡り歩いていたら、いつの間にかそんなところまで来てしまいました。

そのころのメキシコ南部の町は、内戦が続いていた隣国のグアテマラから国境を越えて逃げてきた難民であふれていました。彼らは路上に生活し、街の至る所で幼い子どもを抱えたたくさんの女性たちが、民芸品である手製の編み物を売って必死に暮らしていました。

ある町で仲良くなった7才の靴磨きの少年は孤児でした。あかぎれた小さな手で私にしがみついて仕事をさせてほしいと懇願してきました。稼いだお金は、すべて親方に巻き上げられるそうですが、稼ぎがないとムチで厳しくお仕置きされると涙を浮かべて訴え、その目はおびえていました。

当時、日本はまだバブルに浮かれていたころです。豊かで平和な日本の空気に浸かりきっていた私には、童話や漫画の世界のような話が、今自分の目の前に普通にあるという現実がショックでした。私はこの旅で実に多くのことを学びましたが、その中でもあの日の少年の目は、30年たった今でも忘れません。

前回、私たち人間の向かうべき目標は、「陽気ぐらし」にあるということを書きました。

そのことを『天理教教典』では、次のように明言されています。

親神は、陽気ぐらしを見て、共に楽しみたいとの思わくから、人間を創められた。されば、その思召を実現するのが、人生の意義であり、人類究極の目的である。

(92頁)

では、どうすれば親神様(おやがみさま)の望まれる陽気ぐらしは実現できるのでしょうか。

以前、通りすがりに天理教の若い人の路傍講演を聞いていて「おやっ」と思うことがありました。

「天理教は、陽気ぐらしを目指しています」

「陽気ぐらしとは、日々を明るく楽しく暮らす幸せな暮らしです」

ただ明るく楽しく暮らすこと、それが陽気ぐらしでしょうか。この話には、何かが足りないと思いました。

私は、陽気ぐらしの話になると、どういうわけか、いつもあのメキシコの難民たちの情景や靴磨きの少年たちの顔が瞬間的に思い浮かびます。彼らは今どうしているだろうか。あの悲惨な境遇から這い上がることができただろうかと今でも心にかかっているのです。人種や文化は違いますが、彼らも同じ親神様の子どもです。地球の反対側にいる彼らも日本の私たちと同じように当たり前の暮らしができるようにならなければ親神様の言われる真の陽気ぐらしにはならないと思うのです。

今、世界の人口は、約75億人だそうです。その75億の人は、一カ所に集中して暮らしているのではなくて、さまざまな地域に暮らしています。皆生まれつく場所を選んで生まれたわけではありません。日本のように恵まれた地でなくても多くの人は自分の生まれた地で生涯を送らなければなりません。

住む地域も環境も違うすべての人々が同じ地球上で、陽気ぐらしをすることを考えたとき、それぞれが明るく楽しく暮らすだけでは、陽気ぐらしは成り立たないような気がします。

そこには、お互いに補い合うたすけ合いがなければ成り立ちません。

親神様のお言葉に、

皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。

(『おさしづ』明治30年12月11日)

と聞かせていただきます。

人間一人ひとりが、お互いに気遣って、勇ませ合い、たすけ合うことができなければ陽気ぐらしにはならないということをお示しくださっているのだと思います。

陽気ぐらしにどうしても必要な条件、それは人々の「たすけあいの心」です。

話は変わりますが、数年前に、がんを患っている70代のあるご婦人が相談に来られたことがありました。その方は非常に信仰熱心な方で、親神様にがんをたすけていただくために何かお諭しをしてほしいということでした。

そこで私は、ある古いご教理を思い出して次のような話をしました。

人間、15才になるまでの子どもの悪しきは、親のほこりを子どもに現して見せられる親神様のご意見だと聞かせていただきます。そして、15才以上の人の悪しき病や不時災難は、本人はもとより、家内中のほこりが積もり重なったが故の親神様のご意見、立腹であると聞かせていただきます。

親神様が、このようなご意見を下さるのは、決して人間を憎んでのことではなくて、むしろ何とかたすけてやりたいと思われて、人間の心を直すために意見されるとのことです。

そこで、親神様におたすけをお願いするには、まず親神様の教えを家内中の者が心に治めさせていただいて、それぞれが15才から積んできた八つのほこりの心得違いを心より「さんげ」すること、そして今後は、嘘と追従、欲に高慢をやめて、家族みんなが人をたすける心に入れ替えてお願いをすれば、その心を親神様が受け取ってよろづたすけをしてくださると教えていただきます。

ですから、あなたの今回のがんは、あなた一人で頑張ってもダメで、あなたの家族にたすけてもらわないといけません。そのようにお話しして、御主人は出直されていたので、息子さん夫婦にお母さんのことで神様におたすけを願ってくださるようにお話ししました。

息子さん夫婦は、普段は信仰に対して少し懐疑的でしたが、年老いた母親の一大事に心を改めてくださって、毎日母親に「おさづけ」を取り次いだり、心定めをして親神様に一緒に祈願してくださいました。

果たして、手術に臨んでみれば、その奥さんのがんは、不思議なことに手術に最も都合のよい場所に小さく固まっていて容易に取り除くことができるという思いがけないご守護を頂くことができました。

後日、その奥さんは、がんが治ったことよりも、親の前では身勝手でわがまま放題だった子どもたちが自分のことで一生懸命に祈ってくれて、結果として人間的に成長してくれたことがうれしくて仕方がないと、笑顔で報告してくださいました。

子のことは親が祈り、親のことは子が一心に祈る。この家族は、親神様のお導きによってそういう絆を再び結び直すことができたのだと思います。

『おふでさき』を拝読すると、そういう親神様の思いをよく分からせていただけます。

いまゝでハせかいぢううハ一れつに
めゑ/\しやんをしてわいれども

なさけないとのよにしやんしたとても
人をたすける心ないので

これからハ月日たのみや一れつわ
心しいかりいれかゑてくれ

この心どふゆう事であるならば
せかいたすける一ちよばかりを

このさきハせかいぢううハ一れつに
よろづたがいにたすけするなら

月日にもその心をばうけとりて
どんなたすけもするとをもゑよ

『おふでさき』第12号 89〜94

この歌を私なりに解釈すると、今までも世界中の人間は、皆それぞれに幸せになるために一生懸命考えて生きてきたのであるが、しかし情けないことに、どれだけ考えてもお前たちには、最も大切な人をたすける心がないではないか。そんなことではダメだから、これからは人をたすける心にしっかり心を入れ替えてほしい。これから先、世界中の人々が皆、万事お互いにたすけ合うならば、親神もその心を受け取ってどんなたすけの守護も現そう、という大意だと思います。

陽気ぐらしの実現には、世界中のたすけ合いが必要です。世界中がたすけ合えるようになるには、まずは、私たち一人ひとりが「人をたすける心」になり、身近な人間関係でたすけ合えるようになることが必要で、それこそが親神様の望まれる陽気ぐらしへの道だと思うのです。

つづく

※陽気ぐらしの実現には、世界中のたすけ合いが必要。そのためにまずは、一人ひとりが「人をたすける心」になりましょう。

【次回の更新】6月17日(月)


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