杉本祐奈「見えない想い」

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生徒同士のおさづけ

おたすけへの関わり方は人それぞれですが、ようぼくである者は教祖の道具衆としておさづけを取り次ぐことを許されています。

私の担当している天理高校第二部の4年生は、学生ようぼくとして学生生活を送ることができます。そして、今年度の4年生はありがたいことに、7月までの間にほとんどの生徒がおさづけの理を拝戴することができました。

しかし、私の中では4年生がおさづけの取り次ぎに対して消極的になっているのではないかという不安がありました。というのも、昨年から続く新型コロナウイルスによる感染症対策により、全学年で集まっての点呼ができなくなってしまったからです。

コロナ禍以前は、全学年での点呼の後には、ようぼくである4年生が同級生や下級生に対しておさづけの取り次ぎをしている姿が見受けられました。しかし、コロナ禍に入ってからは、私たち幹事は、4年生がおさづけを取り次ぐ姿を見ることはなくなってしまいました。

目に見えることがすべてではないと思うのですが、おさづけを取り次ぐ4年生の姿は、下級生からすれば憧れや尊敬の思いにつながるもの、同じようぼくである同級生にとっては良い刺激になるものだったのではないかと思います。

心通りのご守護

そんな中、1年半ぶりに学年会をすることが決まりました。学年会とは月に1度、各学年に与えられた議題について意見を出し合う会です。その日の4年生の議題はおさづけの取り次ぎについてでした。まだおさづけの理を拝戴できていない生徒もいる中、ようぼくの子もそうでない子もきちんとおさづけの取り次ぎに対して向き合ってくれていました。

そして、ある生徒からこんな提案がありました。それは、身上の生徒がいればようぼくである4年生がおさづけの取り次ぎをさせてもらいたいというもので、これは一人の力ではできないからみんなや幹事さんの力を貸して欲しいというものでした。

この提案にすぐに協力してくれたのは数人でしたが、彼女の思いは少しずつ波紋のように伝わっているように感じますし、彼女たちの心を受け取って神様はご守護くださるのではないかと思います。

学年会の最後に私から、神様は私たちの心を受け取ってご守護くださるという話をしました。学年会が始まるまでは、もっと意欲を持ってもらえるようにと話を考えていたのですが、私の方が心通りのご守護について考えさせられたように思います。

残り半年、学生ようぼくとして今しか感じられないことを少しでも多く感じさせてあげられるよう、私も同じようぼくとして彼女たちと一緒に成人したいと思います。

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