佐藤善太郎「澄んだ心へ」

もくじ

自分を傷つけた過去

人から勧められて、僕が1日に6回、おつとめを勤めるようになった話。

その頃の僕は自分を責めるあまり自分で自分を傷つける行為を重ねていました。

逃げちゃダメだ、僕がどうにかしないと、という思いが、苦しいな、つらいな、しんどいなという気持ちを膨らませて、息もできないくらい心が溺れてくる。そんな状態から復帰するために、自分の目を覚ますために、自分を傷つける。

そんな頃に1日に6回のおつとめを勧められ、漠然と僕はおつとめを勤めるのはいいことだしな、と取り組み始めたのでした。

初めのうちは、6回という数をこなすだけでした。しかし、終わってみるとなぜか心がすっきりしていました。この感覚が心地よくて、自分を傷つけたくなったとき、つらいときにはおつとめを勤めるようになりました。心がモヤモヤしていても、おつとめを勤めると心が楽になっていき、そのうちに自然と僕は自分を殴らなくなり、一日の生活の中で、喜びを感じられるようになっていきました。

今日も楽しかったなぁ。
○○さんに手伝ってもらえてありがたかったなぁ。

嬉しいことがあるとその喜びに対するお礼のおつとめを勤めるようになりました。
すると、喜びや感謝の気持ちがより大きくなり、ささいなことや今まで喜べなかったことから喜びを見つけられる心に変わっていったのです。

当たり前なことは何一つない。周りの人がいなければ、健康な身体がなければ何もできないことは頭では分かっていました。しかしそれまでの僕の心は、ほこりがたまって濁っていたんだなと痛感しました。

澄んだ心へ

目が見えて、耳も聞こえるのに、心にほこりが積もると、自分にとって都合の良いことしか見えなくなったり、人の言葉を勘違いしてしまったり、偏った考え方しかできなくなったり、程度が進むと幻覚や幻聴が起こったり……、何不自由ない身体をお借りしていても、自分の心一つで不自由を生み出してしまうのだと感じました。

おつとめによって親神様が濁った心を澄んだ心へ切り替えてくださいます。本当に心がたすかるんだと思えるようになった頃、急に困っている人や苦しんでいる人が視界に入るようになりました。

そして僕はその方々のたすかりを願っておつとめを勤めるようになったのです。
普段は勇気が出なくてもその人のことを思っておつとめを勤めると、今度は声を掛けてみよう、今日はおさづけを取り次がせてもらおう、とおつとめを勤めるほどに一歩踏み出す勇気が湧いてくるのでした。

今、苦しい人。
心がモヤモヤしている人。
喜び事があった人。
たすかってもらいたい人がいる人。

どうかおつとめを勤めてください。
教祖が50年のひながたの道をかけて教えてくださったおつとめを勤めると、親神様の思いに触れることができます。僕たちになぜ心の自由を与えてくださったのか、心から気付くことができます。

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