大川歩「神様に導かれて」

もくじ

お道のご用は素直に…

私は信者家庭で育ちました。
未信者の父が転勤族であり所属教会が近くになかったので、教会長さんからお道のお話を聞かせていただける機会は多くありませんでした。

そんな中、引っ越しするたびに母が近くの教会を探し日参をして、私は少年会の鼓笛隊に入ったり、学生会行事に参加したりすることができました。そのおかげで、所属教会へ行けなくてもその時々の教会でお世話になりながら、教えを身近に感じてお育ていただきました。お世話になった教会の皆さまには、本当に感謝しても感謝しきれない思いです。

私は現在、Happistカメラマンをしています。
カメラとの出合いは、大学3年生の時に参加した学生生徒修養会で「Happistカメラマン」の研修生募集の案内を見つけ、研修会に参加した時でした。そして研修を終えて、晴れてカメラマンとして学修に携わることになりました。しかし、社会人2年目、仕事が忙しくなってきてなかなか休みが取れず、カメラマンの依頼に対してすぐに返答することができませんでした。

この話を研修生時代の先輩にしたところ「ご用のお話をいただいた際は、まずは『はい』と言うべきなんだよ」と教えていただきました。

そこで翌年からは、休みが決まっていなくても、まず素直に「はい」と返事することにしました。すると不思議なことにスケジュールがちゃんと空いていくんです。この経験から、お道のご用は、案じることなく「はい」と引き受けるようにしています。きっと、親神様にお呼びいただいているんだと思っています。

お道につながる中でカメラに出合い、人生の半分はカメラマンとして過ごしてきました。
直属や教区の行事でもカメラマンのご用を務めることがあり、教区では学生担当委員会の委員もさせていただいています。

鼓笛隊から始まり、カメラを通して直属や教区とのつながりができ、そのおかげで多くの先生方のお話を聞く機会ができました。

神様に導かれて

『稿本天理教教祖伝逸話篇』の中に、右手を脱臼した子どもに対して教祖が茶碗を持って来るようにと仰せられた時、

右手が痛いから左手で持とうとすると、教祖は、

「ぼん、こちらこちら。」

と、御自身の右手をお上げになった。

威厳のある教祖のお声に、子供心の素直さから、痛む右手で茶碗を持とうとしたら、持てた。茶碗を持った右手は、いつしか御守護を頂いて、治っていたのである。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 49「素直な心」より抜粋

というお話があります。

振り返ると、親神様はいつも大きな親心で導いてくださっていたのだと思います。案じることなく、素直な気持ちでお道を通ることは本当に大事だと感じました。

また今度は、ありがたいことに実家が布教所になりました。気付けば、布教所長後継者という立場までお与えいただきました。
まだまだ導かれてばかりの私ですが、この教えを通して感じた喜びを、一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。

この記事をみんなにシェア!
もくじ