無神論者のAさん
にをいがけで戸別訪問に歩く道中、80歳の男性Aさんと出会いました。Aさんは無神論者で、神や仏を全く信じず、宗教の方が訪れてもすぐに追い払うような方でした。
しかし、ありがたいことになぜか私が家を訪ねた際は表に出てくれました。後で聞くと、私がお孫さんと似ていたらしく、追い払うことに後ろめたさがあったとのことでした。
話を聞くとどうやら膝に水がたまっていて痛いとのこと。おさづけを取り次がせていただきたいとお願いすると「そんなんで治ったら困らんわ」と断られたのですが、日を改めて何度か通ううちにどうにかおさづけを取り次がせていただけることになりました。ただ、家の中には入れてもらえず、玄関に正座し、そこで取り次がせていただきました。
取り次いだ後もおさづけや天理教の話に全く興味はなく、「よくならへんやないか」と文句を言うAさんの傍ら、私は単純におさづけの取り次ぎができたことをうれしく感じていました。
そこからたびたび伺うようになり、地べたに正座するのをふびんに思ったのか、ある時から私が座る用のマットを用意してくださいました。
そこまでするのであれば家の中に入れてくれてもと思うかもしれませんが、当時の私はそのマットがとてもありがたく喜びでいっぱいで、ますますAさんの膝が良くなって欲しいと願うようになりました。
ある冬の日。いつもと同じように伺い、おさづけを取り次ぎ、また文句を言われるのかなと思っていると、すごい勢いでAさんに両手を握られました。私の手を触りながら「おかしいな」とAさん。
どうしたのか尋ねると、さすられた時に膝がとても熱くなったので不思議に思い私の手を握ったが、手は冷たかったので首をかしげられていたそうです。
その瞬間、私はおさづけの理を拝戴した時のことを思い出しました。
おさづけの温かさ、教祖のぬくもり
おさづけの理を拝戴した時、とても熱くて手汗でびしょびしょになったのです。
当時は全く気にも止めていませんでしたが、Aさんの言葉ですぐに当時のことを思い出し、疑っていた訳ではないのですが、おさづけの理を確信したのです。
その後、Aさんの膝はみるみる良くなり、おぢばに帰っていただきました、となればとても美談なのですが、変わらず膝は痛いまま、おぢばに帰るのはおろか、いまだに神様の話すら聞いてもらえません。
しかし、おさづけを取り次がせていただき、おさづけを通してAさんに教祖のぬくもりを少しでも感じてもらえたことは何よりありがたい経験でした。
ある先人の先生が「天理王命の姿はありますか?」と教祖に尋ねられた時、教祖は
在るといえばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿やで
『改訂正文遺韻』「逸話集」266頁
とお聞かせくだされたそうです。
おさづけの理を信じ、少しでもおさづけの温かさ、教祖のぬくもりを感じてもらえるよう、戸別訪問に歩かせていただきます。