辻村憲司「父と2人で」

もくじ

修養科生活からの再出発

僕は大学4年生の時に留年しました。

子どもの頃から父のことが苦手だったのですが、そんな父と進路のことで意見が合わず、卒業を前にだんだんと学校に行けなくなり、留年してしまいました。

僕の意見を全然聞いてくれない父の態度から、そのせいで留年したんだという気持ちでした。一方で、父を含めてたくさんの人にご迷惑をおかけしていることから申し訳なく思い、心が不安定になりました。留年が決まった時は本当にしんどかったです。

もう1年、大学に行かせていただくことになり、半年間で足りなかった単位を取りました。そして、残りの半年の内、3カ月間で修養科に行くことを決めました。なんとか前を向けるように、という思いだったと思います。

始まった修養科生活、1カ月目の教養係の先生は、なんと父でした。

その時は他に修養科生もいなかったので、僕は父と2人で修養科生活を送ることになりました。毎日、父と2人で歩いて神殿に参拝に行く、そんな生活の中で、父といろいろな話をすることができました。

父が僕の意見を聞いてくれなかったのではなく、僕がちゃんと相談できていなかったんだと気付きました。そして、父の思いを聞き、信仰に向き合う姿を見て、「お父さんはすごいんだ!」と思いました。

今の自分に必要な人

留年というふしから、僕の人生は大きく変わりました。

一つは進路のこと。社会に出て就職しようと考えていましたが、本部勤務(教会本部に勤めること)をすることにしました。おぢばで伏せ込めたことは、僕の人生の大きなプラスになっています。それと、もう一つは父との関係です。いきなり「とっても仲良し!」みたいにはなりませんでしたが、今ではささいなことでも相談できています。

人生には、自分の思い通りにならないことがたくさんあります。その中には、気持ちが大きく落ち込んでしまうこともあるでしょう。そんなときは、おぢばに帰ってみてはどうでしょうか。

きっと、今の自分に必要な人に出会うと思います。そして、その人を通して神様からのメッセージをお知らせいただけるのだと思います。

僕の場合は、それが父でした。おぢばで、父と共に生活できたのが良かったのだと思います。

大変な時期でしたが、あの1年があったおかげで今の僕があると言えます。今の僕の夢は、「父のような教養係の先生になること」です。

この記事をみんなにシェア!
もくじ