湯浅久美子「寄り添える人に」

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話を聴くのは今しかできない

数年前、私にとってつらい出来事がありました。私はもともと人に相談することが得意ではなく、また、人に話すということさえも不足を口にすることのように思えて、家族にさえ相談できずただただ我慢していました。「どうしたらいいんだろう?」と喜べない日が続きました。

そんなある日、ひのきしん中にたわいもない会話をしていると、我慢していた感情があふれ出てしまったのか涙がぽろぽろと流れて止まらなくなりました。その時そばにいた先生が驚きながらも真剣に話を聞いてくれました。

私たちはひのきしんの最中であったため、「すみません、ひのきしんがあるのに」と涙をこらえて再び動き出そうとしました。すると、その先生は「ひのきしんはいつでもできる。でも話を聴くのは今しかできない」と、涙が止まらない私を急かすことなく何も言わずにただただじっと待って、私が話し出そうとするまでずっとそばにいてくれました。

行事が目前に迫り、急ぎの作業がたくさんあるにもかかわらず、泣いている私に何も言わずに寄り添い、話を聞いてくれたことが本当にありがたく、心が救われました。

考え方が固い私は「ひのきしんをしないと!」「この時間はこれをする時間」と思っていました。しかし、今回のことから、ひのきしんや今すべきことももちろん大事ですが、それ以上に人に寄り添うことが何よりも大切なんだと改めて実感しました。

にをいがけ・おたすけと言われると、困っている人に手を差し伸べて話を聞くことを思い浮かべるかもしれません。しかし、まずはたとえ何もできなくてもその人の心に寄り添うことが一番大事で、それがにをいがけやおたすけにつながるのだと、自身の体験から強く感じることができました。

寄り添う心を大切に

諭達第四号にも「家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上、事情で悩む人々には親身に寄り添い…」とあります。

日常生活はもちろん、学修は一番のにをいがけ・おたすけの場だと聞かせていただきます。まだまだ胸を張って「私は天理教を信仰しています!」とは言えませんが、そばにいる人やこれから出会う人、学修に参加してくれる学生さんたちに「天理教の人ってなんかいいな」「また来たいな」「雰囲気がすてきだな」と思ってもらえるような通り方でありたいと思います。そして、すぐに人に手を差し伸べられる人であれるよう、寄り添う心を大切に日々を通らせていただきたいと思います。

やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 123「人がめどか」

この三年千日、教祖のひながたをいつもより意識して通らせていただきます!

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