茶木谷与和「誰のための…」

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効率化のよしあし

昨今よく耳にする効率化という言葉。

企業や団体、組織、そして個人の生活に至るまで「効率的な○○」という言葉が飛び交っている。

効率化することのメリットとしてよく言われているのが、生産性や品質の向上、コスト削減、時間短縮など、コスパ重視の今の社会を生き抜く上では大切なことばかりである。

しかし、非常に聞こえのいい効率化だが一歩間違えば大きな不足を生む原因にもなりうる。

それは「誰のための」を忘れているときだ。

自分のためだけや自分の所属する部署のためだけを考えた効率化は、必ず他の方々にそのしわ寄せがいくことが多いように感じる。また、自分中心の効率化は自分さえよければ他はどうでもいいという考えになりかねない。

このような、一部の人だけが利益を受ける環境は決していいものではないと思う。

「誰のため」なのか考える

私も社会でさまざまな経験をさせていただき、実際に効率化を図るために考え、実行してきたこともある。そんな時に心がけていたのは、天理教を信仰する者として教祖ならどうお考えになるのか思案させていただくことだった。

教祖は、仕事をする際の矢印を自分ではなく他人に向けるようにお教えくだされている。

世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない

『稿本天理教教祖伝逸話篇』197「働く手は」

働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらくと言うのや

同上

効率化も互いにたすけ合って、自分だけではなく他の方々のためにどうできるのかを考え実行することが最終的には自分たちの効率化にもつながり、「人を救けたら我が身が救かるのや」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』42「人を救けたら」)というお言葉通りになってくるように思う。

人間はどうしても上手くいっているときほど自分の力を過信してしまうことが多い。そんな時こそ一度立ち止まり、この状態で大丈夫なのか、自分中心になっていないか、教祖ならどうなさるだろうかと考える時間が必要なのではないかと思う。

常に「誰のため」なのかを考えて日々生活する中で、陽気ぐらしのヒントをつかむきっかけが生まれるのではないだろうか。

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