秋岡正直「恩に報いるために」

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「陽気ぐらし」を説明してください

今から30年も昔となるが、青年勤めの時代に「陽気ぐらしを説明しなさい」と宿題を出されたことがあった。早速、自分なりに調べてみたのだが、三原典(みかぐらうた・おふでさき・おさしづ)には「陽気ぐらし」の文字は一度も記されておらず、『天理教教典』第十章「陽気ぐらし」では、事細かに書かれてはいたものの、それをうまく説明することができず、何とも恥ずかしい経験をしたことがあった。

教祖130年祭にお出しくだされた『諭達第三号』において真柱様は、「陽気ぐらしは、何よりも親神様の子供である人間が、互いにたすけ合って暮らす世の在り様である。」そして、「心を澄ます生き方でもある。」とお教えくだされたが、私は今でもこの二つが、一番分かりやすい「陽気ぐらし」の説明だと思っている。


幼い時、よく食事中に兄弟げんかが始まり母に叱られた。そして、「そんなにご飯の時に、けんかばっかりするんだったら、もう長い箸で食べさせるわよ」と言われたのだが、当時はその意味がさっぱり分かっていなかった。

後年となり、それが「天国と地獄の長い箸」という昔話をしてくれていたことを知るのだが、どのような話かと言えば、

天国にも地獄にも、どちらにも十分な食べ物が用意されていました。とてもとても大きな鍋を、みんなでぐるりと囲んで食事をするのですが、天国の人たちにも、地獄の人たちにも用意されていたのは、それはそれは長い箸でした。

自分の身長以上もあるような長い箸。必ずその箸を使って食べなければならないというのが、天国・地獄、共通の決まり事です。

地獄の人たちは、その長い箸で、自分の口に食べ物を運ぼうとしましたが、何度やっても食べ物はこぼれるばかり。どんなにごちそうが目の前に用意されていても食べられず、常に飢えに苦しみ争いも絶えない状態でした。

一方、天国の人たちはというと、たくさんおいしいものを食べ、誰もが幸せに満たされた顔をしていました。なぜなら、みんなその長い箸を人のために使っていたのです。鍋を挟んで向かいの人に「はい、どうぞ」と食べ物を届けていたのです。

「まずは、あなたから」と自然に思える人たちの集まる天国は、飢えも争いもない、みんなが笑い合える幸せな世界でした。

私たちのお道の教えに天国も地獄もないが、どの家庭と言わず誰にとっても、この話は相手を思いやる上のヒントだと思える。亡き母は道の先達として、小さかった私たちに分かりやすい陽気ぐらしの生き方を伝えたかったのであろう。

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