旭正孝「人生のターニングポイント」

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人生のターニングポイント

学生時代、なかなか素直に信仰が治まっていなかった私に、というよりも信仰から離れようとしていた私にとって、天理教の話は耳を貸す気にはなれないものだった。

しかし唯一、母方の大叔母より聞かせてもらう話だけはなぜか心に響いた。遠方に在住のため、めったに会うことはできなかったが、会えた時の会話は非常に楽しみであった。

聞かしてもらうお道の話は説得力があり、いつも「なるほど」と得心の行く話ばかりで、大叔母の話にのめり込むように聞き入っていた。

私の人生のターニングポイントは、大学卒業間近の時にある。

大学卒業後は本部勤務を決めていた。同じく本部勤務に進む予定であった親友に、ひのきしん者の寮の相談で電話をすると、彼の母親から「体調不良で病院にかかる」と告げられた。

日を改めて電話をすると「病状が深刻で命に関わる」とのこと。なすすべなくぼうぜんと立ち尽くした。当時、天理に在住していた私は、気が付くと会長である父に連絡していた。

父は一言「お前はどこに居させてもらっているんや」と。

私は今まで、ろくに参拝にも行っていなかった本部神殿に一目散に向かい、南礼拝場で時を忘れて、ぬかずいていた。「生涯を信仰に捧げますのでどうぞ友をたすけてください」。願うしかなかった。願うことしかできない無力さが、次第に願うことのできる安心感へと変わっていった。おもたれすることができる神の存在に、また、親々がつないでくださった信仰に感謝せずにいれなかった。

彼はご守護を頂き時間をかけて全快した。彼の身上を通し我が身はおろか、すべては親神様(おやがみさま)からの「かりもの」なのだということを感じることができた。

現在、私は教会の会長を勤めさせてもらっている。日々、本当にいろんなことが起こってくる。しかし、「どんなことも絶対に神様のメッセージが込められている」、その言葉を頼りに前進あるのみ。

私ども夫婦には、先天性の身上(みじょう)の娘をお与えいただいている。生活のすべてを介護に頼る彼女もまた親神様の子である。こんな小さな命の灯にも親神様のほとばしるご守護を感じる日々に、感謝があふれてくる。

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