中山祥吉「自然体で“ひながた”を」

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自然体で“ひながた”を

この原稿を依頼されて数日がたった。困った、忘れていた。

急遽、詰所の一室の祖父が使っていた机の前に座り、書くことにした。

祖父は、97歳で出直すまで、好奇心を持ち続けた人であった。

車で出掛けるのが好きなのだが運転はできないので、よく隣に乗せて走った。後ろの席ではなく、必ず助手席。遠く前を見つめながら、タバコを吸う。高速道路のETCが普及し始めた頃、「おい、祥吉。あのエトセトラってなんのことや」と。理解するまでに数秒かかった。

そんな祖父は人を喜ばせるのが好きであった。また、物を大事にし、工夫して使うのも好きであった。80歳を超えてからデジタルカメラを手にし、プリンターで自らプリントアウトした。

家族や信者さんを撮りまくり、プリントし、配りまくる。それくらいなら喜んでもらっていいのだが、顔をどアップにしてプリントする。毛穴まで見える。皆さん、苦笑いしながら受け取っておられた。

わが家の使っている湯飲みや皿、急須が、落として割れたりヒビが入った時はボンドで修繕をする。職人のように上手ではないが、使えるように直す。皿を割ったのを何度も助けてもらい、子供の頃は壊れたら何でも祖父のところへ持っていった。

万年筆が好きな祖父は、いいのを見つけると、必ず2本買い求めた。そして自慢気に「いい書き心地や」と言う。しかし数日すると、2本の内、必ず1本は無くなっていた。時には、2本とも無くなっていた。

これは後で気付いたことだが、「お世話になっている人」や「この人には」という人にあげていたのだ。「これ、よう書けるんや。あげよう」そう言っている姿を何度か見た。

ある時、私の子供(祖父のひ孫)に「おんぶしたろ」と言う。その時、教祖(おやさま)の「ひながた」をたどって暮らしているのだと感じ入った。〔天理教教祖伝逸話篇134「思い出」〕

祖父はいつも自然体であった。そんな祖父は、よく「人は、出直すまで成人やぞ」と言っていた。

成人の鈍い私に、机を通して「しっかり『ひながた』をたどれ」と語り掛けてくれているように感じた。

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