宮田幸一郎「明日の地図の歩き方」

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明日の地図の歩き方

昨年の夏に出直(でなお)した母の一年祭が近づき、案内状を送ったり、いろいろと準備を始めだした頃、母と初めて戸別訪問に歩いた場所の近くを通りかかり、その時のことを思い出しました。

それは私が4、5歳頃の暑い夏の日。二人で家を出発し、しばらく歩いた後、母が戸別訪問を始めました。最初はその姿を見ていた私でしたが、チラシを数枚もらい、私はポスティングを始めました。

だんだんと調子が出てきた頃、あるお宅のポストにチラシを入れた直後、絵に描いたような上下ステテコスタイルに腹巻姿のおっかない「雷おじさん」が塀越しに顔を出されました。「お前、今何を入れたんや?」と尋ねる雷おじさん。「蛇に睨まれた蛙」状態の私に、返答の言葉は出てきません。

雷おじさんは無造作にチラシを手に取り、目を通し始めました。その状況に気付いた母が慌てて側に寄ってきました。「この子はお前の子どもか? 人の家に勝手にチラシ入れやがって、お前ら親子はどういうつもりなんや!」と雷おじさんは母に食って掛かり、母はひたすらお詫びを申しました。

ポスティングをしたことで、母に辛い思いをさせていることに悲しみが込み上げてきた私は、その場で泣きだしてしまいました。しかし、私の涙は雷おじさんの怒りの火に油を注ぐことになってしまい、母は深くお詫びを申した後、私の手を引いてその場を立ち去らざるを得ませんでした。

その後の私は、ポスティングどころではありません。「お母さん、怖いよ。帰ろう?」と泣きじゃくり、母の足にしがみつきました。それでも母は戸別訪問をやめようとはしません。

泣きじゃくる私を連れながら、戸別訪問を続ける母。しかし、数軒歩いた後「帰ろうか」と私に言い、二人で帰路に就きました。その時の母の私を見つめるまなざしは、優しさと信念に満ちたものでした。

戸別訪問を続けた理由

私が大人になってから、この時のことを母と話す機会がありました。「僕が泣き出した後、なぜすぐ帰ろうとせず、戸別訪問を続けたの?」と私は尋ねました。

すると母は「あなたのことを思うとやめられなかったんや」と言いました。続けて「私は実家のお母さん、あなたにとってはおばあちゃんから、『子供は自分で徳を積めないから親が積んであげないといけないよ』とよく言われた。それを思うとやめられなかったんや。でも、あなたがあまりにも泣くからあの時はやめたけどね」と言われました。

「明日の地図」をひろげて私たちは未来に向かい歩いています。「明日の地図」は行ったことのない場所の地図だと思います。

しかし、その道を進む一歩一歩は親から教わった歩き方で、親が積んでくれた徳のおかげで歩いていけるのでしょうね。

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