中山昭悦「教祖(おやさま)ならば」

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教祖ならば

皆さんは、一度でいいから教祖(おやさま)に直接お目にかかり、いろいろとお話をさせていただいたり、教祖のお心を直(じか)に味わってみたいと想像することはありませんか?

きっとこの道を真剣に歩む者ならば、そう願わない人はいないだろうと思います。僭越(せんえつ)ながら、私も強くそう願う者の一人です。そこで、日々を送る中、教祖ならこんな時どうされるんだろう? ということを必ず考えるように心掛けています。

少し前の話になりますが、信者さんのお宅で五十日祭が行われました。家族、親族の「出直し」から五十日といえば、皆さんの悲しみは日ごとに増すばかり、そこで、式中に粗相があってはいけないなと気を引き締め、会長である父と二人で祭官をさせていただきました。

そこには私の家族や子どもも含めて、20人ほどの人が参列していました。式次第も滞りなく進み、最後の撤饌(てっせん)になりました。子どもたちの通称は「おさげ」です。祭主である父からお供え物が下がってきて、それを受け取り台所へ撤饌をしていく手はずで、私は180度反転しました。

すると、その先には両手を足の付け根にそろえて置き、見事な祭儀式の立ち居振る舞いの3歳の長男が居ました。その姿を見て、私は軽く狼狽(ろうばい)し状況がのみ込めず、その場に立ち尽くしてしまいました。

教祖のご逸話

おそらく、息子にとってはいつも教会で時間になればさせていただく「おさげ」。この場で僕がやらねば誰がやるんだ、とばかりに責任感を胸にその場に立ったのだと思います。

しかし、私からすれば五十日祭、万が一にも粗相があってはいけません。あるいは、子どもにこのお供え物を渡せば、ご家族は「ふざけている」と感じられても仕方のない場面。ましてや、そこに集まるご親族は他宗教の方が大半という状況でした。

けれども、ここで長男に渡さねば、せっかく芽生えた神様への責任感という芽を摘んでしまうのでは? さらに、心配事はここで渡さねば「アッちゅんもやる~!」と泣き出してしまうのでは? との懸念も浮かんできました。

そんなことを考えながら、軽く30秒は棒立ちになってしまいました。そんな中、必死に教祖ならばどうされるんだろうか? 教祖ならば? 教祖ならば? と考えているうちに、ふと浮かんできたのは梅谷四郎兵衛(うめたにしろべえ)先生の「父母に連れられて」のご逸話でした。

ご存じのように、梅谷先生が幼少の息子さんを連れて教祖にお目通りされていた時、教祖の真っ赤な着物姿を見た息子さんが「だるまはん、だるまはん」と言ってしまわれ、あまりの申し訳なさから、それ以降、しばらく息子さんを連れずに教祖にお目通りをされていると、教祖は「梅次郎さんは、どうしました。道切れるで。」と仰せられ、その後は、また息子さんを連れてお目通りされるようになったというご逸話です。(『稿本教祖伝逸話篇』117「父母に連れられて」)

考え抜いた末に

そこで、私はご逸話を頼りに、息子に三方(さんぼう)を渡すことにしました。半ば自棄になっていたかもしれません。すると息子は、今思い出してもほれぼれするような「後ろかね」の足をとり無事に台所へと向かいました。

その瞬間でした。その場におられたご家族、ご親族から「ワ~」と歓声が上がり「がんばれ~」「かわいい~」などと、およそ10台あったお供え物を持つたびに、これが五十日祭かと疑うほどの陽気な撤饌となりました。 

後の直会(なおらい)の時間に他宗教の方から「天理教は柔らかくていいねー」との声を頂き、長男にとっては意外な形で初めての「にをいがけ」となりました。

今でも時々考えます、あの時、息子に三方を渡した判断は正しかったのだろうか、それとも、間違いだったのだろうか、と。きっと答えはこの先もずっと分からないでしょう。

しかし、ただ一つ間違いないと言えることは、あの時、教祖ならどうされるのだろうかと必死に考えたこと。

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