第9回 お道の悟り

『天理教教典』第八章「道すがら」では、お道の信仰世界を端的に

己が心が明るければ、世上(せじょう)も明るいのであつて、まことに、「こゝろすみきれごくらくや」と教えられている所以(ゆえん)である。

『天理教教典』74ページ

と述べています。
これは「悟り」と呼ばれる世界です。

お道では「陽気ぐらし」を教えられますが、これは生きることをどこまでも肯定していく考えだと思います。
しかし、現実にはこれまで触れたように、生きる希望を失っている人が少なくありません。

もくじ

不登校だったA君

私は以前、ある男子中学生のお母さんから「子どもの勉強を見てもらえませんか」と頼まれたことがあります。
何事も真面目に取り組むA君は、先輩からいじめを受けて以来、学校へ行けなくなったのだそうです。
おたすけをさせていただける!」と、勇んで彼の家を訪ねましたが、彼は部屋の雨戸を閉め切って、昼と夜が逆転した毎日を送っていました。
当時、引きこもりが社会問題になり始めていた頃で、私は「これが引きこもりか」と、初めて目の当たりにする現実に息をのみました。

機械が好きな彼は、自分で組み立てたパソコンが唯一の友達で、一晩中画面に向き合っていました。
通い始めて3カ月がたった頃、少し心を開いてくれたのか、「将来は情報処理の勉強をしたい」という希望を打ち明けてくれるようになりました。
「だったら高校受験を目指して勉強しないか」と、渋る彼を説得し、2人で中学1年生の勉強からやり直すことにしました。
それからは、彼の家族も「息子の生活に張りが出てきた」と喜んでくださいました。

心を開いた1匹のペット

この間、中学校を保健室登校で卒業し、念願の各種学校にも進学できましたが、生真面目な彼は「先生が好きになれない」と、1年生の2学期に退学し、また元の生活に戻ってしまいました。
そして、私にも「もう会いたくない」というような状態になりました。
お道の信仰者として、いろいろとアドバイスもし、彼を理解したつもりでいただけに、強い挫折感が残りました。
また、ご家族の落胆は大変なものでした。

その後、私が布教に出たこともあり、次に彼の家を訪ねたのは、1年ぶりのことでした。
お母さんが「息子の生活が規則正しくなったんです」と笑顔で迎えてくださったのですが、「何があったのですか?」と伺うと、特に心当たりがないという返事。
そこで、彼の身辺に起きたことを一つずつ尋ねると、最近ペットのスカンクを飼い始めたことが分かりました。
そういえば、ペットの世話を始めてから、昼夜逆転の生活が元に戻り、家族と一緒に食事をするようになったということでした。
彼は、甘えてくるペットの命を守るのは自分しかいないと思ったのでしょう。
命あるものとの触れ合いを通して、見事に立ち直ったのです。

お道では「人をたすけて我が身たすかる」(『天理教教典』第十章)と教えていただきますが、人間の本性にかなった生き方は、愛情を注ぐ存在があることだという普遍的な真理を教えてくださっているように思います。
「私が守らなければ……」という程よい緊張感の中で、人は人間らしい幸せを味わうことができるということです。

本当の悟り

皆さんは、明治の俳人である正岡子規(まさおかしき)を知っていますか?
NHKが以前放映した司馬遼太郎(しばりょうたろう)原作の『坂の上の雲』に登場しています。
子規は夏目漱石と親交があり、日本の俳句・短歌の改革運動に取り組み、日本の近代文学に多大な影響を与えた人です。
有名な俳句に「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」がありますから、国語の授業で習った人も多いでしょう。

ところで、子規は若くして闘病生活を送ることになりました。
28歳の時に脊椎(せきつい)カリエスと診断されてからは、寝たきりになり、起き上がってものを書くこともできなくなり、最後は35歳で亡くなります。
脊椎カリエスは当時、不治の病といわれ、脊椎が結核菌に侵され身体に穴が開き、そこから膿が出るため大変な苦痛と痛みが伴う病気でした。
その中、自身の闘病記である『病床六尺』(岩波文庫)を著しましたが、今この著が介護や看護の世界で注目されています。

それは、わが国が高齢社会になって、長期の患いや介護を必要とする人が増える中で、そうした人たちの心の世界、その救済はどうなるのか?
という関心からだそうです。
当時、子規は母親と姉から介護を受けていましたが、大変つらい毎日だったと想像できます。
そうした中、生きることにも絶望するのですが、いろんな曲折を経て一つの「悟り」を開きました。

それは、「悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」というものです。
どんな中でも、仮に多くの人のお世話になることがあっても「平気で生きている」ことを選ぼうとしたのです。
生き難い世の中だからこそ、生きていけばいいではないかと言うのです。
ある文学評論家は、この子規の生き方を「陽気に生き抜いて見せた」と書いていますが、私たちの信仰の目的である陽気ぐらしを考える上でもとても大切な「悟り」です。

私たちの信仰は「何かのため、誰かのために生きていること」、そして「どんな中にも生きることを選択すること」だと思います。
その地平に「こゝろすみきれごくらくや」の世界が開けてくるものと信じます。

つづく

※『Happist』2013年12月号より再掲載

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