『おさしづ』#3 時間感覚について

もくじ

時間感覚

あなたが「1週間」という時間感覚を身に付けたのはいつですか?

私の場合、中学生になって、初めて定期試験を経験した時です。
中間テストの1週間前から部活が休みになりました。
「中学校って、1週間前から勉強モードになるんだ……」と思った記憶があります。

「1カ月」という時間感覚は、教会の月次祭ですね。
毎月23日がくるたびに、「今月ももう終わりだなあ」と感じています。

「1年」という時間感覚は、お正月の時です。
毎年、年末が近くなると「1年、あっという間だったな」と言っています。

「3年」という時間感覚は、中学校と高校の卒業式の時に感じました。
中学の3年間があっという間に過ぎたかと思えば、高校の3年間もあっという間でした。

では、皆さんは「10年」という時間感覚は持っていますか?

私がそれを感じたのは、27歳の時です。
高校2年生のクラスの友達がみんな仲良くて、10年後の27歳の時に同窓会を開こうと約束したのです。
10年後なんてまだまだ先だと思っていましたが、いざその日がきてみると、あっという間の10年でした。

そして、今では、それからさらに10年以上たってしまいました。

ところで、『おさしづ』では、この時間感覚についてとても不思議なことが教えられています。
ここでは明治33年10月3日の「おさしづ」を見てみましょう。



ある教会の会長さんが、お父さんの病気について伺った「おさしづ」です。

その方は72歳。
当時の平均寿命や、今回の身の患いから、本人は人生の終わりを感じていたことでしょう。

みなさん、想像できますか?

その人の時間感覚としては72年。
それが一生であり、一代の長さです。とても長い時間です。

ところが、この「おさしづ」には、次のような意味のお言葉がありました。

人間というものは、ただ一代と思ってはならない。一代と言うやない。

どういうことでしょうか?
続いて次のように述べられています。

生まれ変わりがある。よく聞き分け。

ここでは、「人間には生まれ変わりがある」と述べられています。

つまり、人間は「死」を迎えても、またどこかのタイミングで、同じ魂がこの世に生まれ変わってくると教えられたのです。
そこで「死」は「出直し」とも言われます。

そうしたことから、「たとえ72年で今生は終わるにしても、人間というものをその一代だけで考えてはいけない」と諭されたのですね。

この方は、「おさしづ」を頂かれたこの日、72歳で亡くなられました。
きっと、またどこかのタイミングで生まれ変わられたことでしょう。



さて、皆さんの中には、10年という時間感覚を持つのも、まだ難しい人が多いと思います。
でも、この「おさしづ」を読むと、親神様は「生まれる前と死んだ後も含めて、自分の人生を考えるように」と教えられていることが分かります。

「中学校って、1週間前から勉強モードになるんだ……」と思った時と同じように、この信仰の道を歩めば、だんだんとそうした時間感覚が身に付くのかもしれませんね。

皆さんは、何年先の将来を描いて今を生きていますか?

明治33年10月3日

甲賀支教会長実父山田太良平七十二才身上願

さあ/\尋ねる事情/\、身上一つさあ/\心治まらん/\、事情尋ねる。尋ねるから、又一つさしづに及ぶ。身の處これまで/\長らく/\の事情、長い道筋という、いかなる理と一つ思う。さあ/\年取れたる者と言う。又心々の名称というは、容易では行かん道を通り来た。又人間というは、たゞ一代と思うてはならん。一代と言うやない。同じ生まれ更わり/\ある。よう聞き分け。子孫理を傳うて来る。人というものは、親子兄弟よく似たるなあと言うて居れど、そら知らん。そこで便り早く聞かせ。樂しませ。さあ/\早く心に便りを樂しましてくれるよう。

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