家族の課題
家族の中で、誰かが不調な時、あなたはそれをどのように受け止めますか?
例えば、兄がけがをした時、弟として。
あるいは、妹が進路につまずいた時、姉として。
または、母親に病気が見つかった時、子として。などなど……。
近い関係だからこそ、どのように声を掛けたらいいのか迷うときがあります。
そっとしておいた方がいいと思いつつ、ほっとくわけにもいかず、難しいですよね。
そこで、家族の課題についてどのように考えればいいのか、「おさしづ」を通して学んでいきましょう。
明治22年1月11日、西浦弥平(にしうらやへい)という人が、8才の息子の病気について「おさしづ」を伺いました。
すると、次のような意味のお言葉を頂かれました。
「……子どものことについて、一人の患いは家内の患いと言ってある。」
皆さん、どうでしょうか?
この「おさしづ」では、子どもの病気はその子自身の苦しみでもあるけど、同時に家族のみんなが受け止めるべき課題でもあるということが教えられています。
皆さんは、このような考え方をしたことはありますか?
病気はつらいものです。
できれば、早くどこかへ立ち去ってもらいたいものでしょう。
しかし、家族の一人ひとりが、「病気で苦しむ子のために、自分には何ができるのだろう」と考える時、たとえ病気の治癒に直結するような行いができなくても、その子を中心にして家族の心が寄り合っているともいえます。
そうすると、結果的に、その病気をきっかけとして、以前よりも絆の深い家族になるかもしれません。
病気は家族一人ひとりに対する神様からのメッセージであり、当人はいわば「家族を代表して病気になっている」ともいえるでしょう。
病気は治るに越したことはありません。
また、あらゆる問題は早々に解決してもらいたいものでしょう。
しかし「治る」ということだけが「正解」ではなく、また「なんでも早く解決すればいい」というものではないのかもしれません。
大変な中にこそ、家族が生まれ変わるチャンスがあるのだともいえます。
さて、その上で、この「おさしづ」は次のように続いています。
「子どものことについて、前生から一人ひとり持ち越しという理がある……」
少し難しい言い回しですね。
ここでは「今その子の身に現れていることは、一人ひとりの前生から持ち越されたものが現れている」ということが教えられています。
前生について、人間には、はっきりとは分かりません。
しかし、親神様の目からみれば、前の人生から何かが続いているということなのでしょう。
いわば「前生でまいた種が、親神様の働きによって今回の人生で芽生えてきた」といえるかもしれません。
もう一度整理して考えてみましょう。
(1)一人の患いは、家内みんなの患いということ
(2)その人に現れることには(その人も含めた家族の)前生から何かを持ち越している場合があるということ。
家族の課題は人に言えない事も多く、いろいろと思い悩みます。
自分を責めたり、時には神様を恨みたくなるかもしれません。
しかし、この「おさしづ」の続きには「心配は要らない」というお言葉が出てきます。
大丈夫。心配要らない。
家族とは、親神様が、前生から何らかの縁のある人々に対して「今回はこのメンバーで家族として陽気ぐらししてね」といって結び合わされた人々だと思います。
そして、親神様のそうした親心からすれば、家族の課題は、きっとそのメンバーにとって一番いいかたちとタイミングで与えられるのではないでしょうか。
皆さんは、どのように思われますか?
明治22年1月11日
西浦弥平小人三治郎八才願
さあ/\小人の處/\、身の處、さあ/\一寸心得ん/\。思う事に何にも理は無い。小人の處一名一人、一人の煩いは家内の煩いと言うてある。小人の處、前生一人々々持越しという理がある、持ちて出るという理がある。一日事情定め。案じる事は要らん。一日の事情しいかりと見るがよい。