金銭感覚について

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金銭感覚について

「あなたの金銭感覚が変わったのはいつ頃ですか?」

大学生にそのように聞くと、多くの人が「バイトを始めた時」と答えました。

例えば、Aさんはバイトをするようになって、特に駄菓子を買う時に自分の金銭感覚の変化に気付いたそうです。

小学生の時は、駄菓子の値段を10円単位で見ていたけど、大学生になってバイトを始めてからは100円でも200円でも気にしなくなったそうです。

また、Bさんは、ファミレスのドリンクバーでそれを感じたようです。

高校生の頃にはドリンクバーの数百円を出し渋っていたのに、今では当たり前のようにドリンクバーを頼んでいる自分がいて、金銭感覚が変わったなと思ったそうです。

例えば、時給800円のバイト。
それを1週間で10時間働けば8000円。

さらに、それを1カ月間(4週間)すれば、3万2千円となります。

1カ月ごとに3万2千円が入ってきて、その中からいくらかがお小遣いとして使えるようになると、駄菓子を買ったり、ファミレスのドリンクバーを頼む感覚も変わってくるのかもしれません。

このように、私たちは大人になるにつれて自分で扱う金額も大きくなり、お金に対する感覚も変わっていくようです。

ところで、「おさしづ」では、お金に関して次のような意味のことが教えられています。
明治39年2月13日の「おさしづ」です。

金銭というものは、しっかりと始末する者がなくてはならない。誰彼なく取り扱っては、ほこりが付く

始末とは「始まり」と「終わり(末)」のことで、物事の初めから終わりまでしっかり締めくくることを言います。
「火の始末」とか「後始末」というような言い方をしますね。

この「おさしづ」では、お金に関しても、そのようにしっかりと管理することが大切と教えられています。

その反対に、大ざっぱにお金を出し入れすることを「どんぶり勘定」といったりもしますが、始末する態度とは、だいぶ金銭感覚が違いますね。

それでは「誰彼なく取り扱っては、ほこりが付く」とは、どういう意味でしょうか?

お金は大切なものです。
みんなで使うお金であれば、みんなでよく話し合うことが必要になります。

しかし、お金の話になると、人によっては「もっと欲しい」という気持ちになったりします。

あるいは、知らず知らずのうちに、出し惜しむ気持ちや、人をうらやむ気持ちなども出てくるかもしれません。

それは、その人の心に「ほこり」が付くようなものです。

そこで、「おさしづ」では、そうした余計な「ほこり」が生まれないように、お金というものは誰彼なく取り扱ったりするものではないと教えられています。

例えば、お金を不用意にポンとその辺りに置いておいたり、むやみにお金を話題に出すのは控えたほうがいいでしょう。

みんなのお金であれば、会計係などを立ててしっかりと管理することが大切です。

この「おさしづ」の続きには「(会計が)三名立ち並んで始末していけば、みんなに見せて満足する。それが大きな道に成る」という言葉があります。

「ほこり」が生まれやすい中、お金をしっかりと管理して、みんなの心を治めて通ることが「大きな道」につながっていくということが示されています。

皆さんは、お金に対してどのような感覚を持っていますか?

明治39年2月13日

増野おとも十三才足の痛みに付願
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上という、どうも心得んと言うやろ。小人一つ事情いかな事情と思う処、いかな事情よう一つ聞き分けにゃ分からんで。前々事情いかな事情もこれ聞き分け。前々事情一つ/\諭したる事あれば、前々事情から何かの処、さあ/\日の処もう両三日はどう、そこで身上に掛かればどうなろうと言う。これからしっかり聞き分け。十分身上速やかありて一つ事情、何がいかん彼がいかんとはこら言わん。これまで順序諭したる事あろ。これからしっかり定め。さしづは違わんで。さしづよりめん/\思やんしてくれ。身上堪えられん。こういう際に何であろ、どういう事と言う。何であろ。放って居られん、放っては置けん。よう聞き分け。これから先という、何よの事もいつ/\さしづに、こういう事あったどういう事あったと、順序一つこれ心得てくれ。何がいかん彼がいかんとは言わん。さあ身上案じる事は要らん。よう聞き分け。いつ/\まで連れて通りたいから、楽しみの理やで。さしづは神の理やで。いつ/\さしづにこういう事あった、どういう事あった、ほんにそうかいなあと、さしづに間違いは無いなあと、さしづから心に一つ大き心含んでくれ。身上案じる事要らん。こういう際にこういう事とは不思議やなあ、いつ/\心得事情である。放って置くに放って置かれん。日も何程も無い。身上何でも彼でも清水でなくばならん。これから心得。さしづは一つも違わんなれど、取りよが違うから間違うで。さあ/\身上案じる事要らん。

押して、前々のさしづの処考えまして会計の処でありましょうか、と申し上げ願
さあ/\何よの処/\その時はその時、さあ日が経つ月が経っては又々事情、万事の処にてほんにこれでこそと、心に嵌まりたら何も無い。さあいつ/\まで連れて通りたいからである。心にほんにそうかいなあと、速やか嵌まれば、十分であろう。

あと暫くしておさしづ
さあ/\どういう事もこういう事も一つ事情、まあ一言一寸諭して置くによって、一日二日三日四日一つ事情、だん/\片付く。さあ年々の大祭も片付く。そうして後、前々こういう事あってさしづ願ごた/\。こういうさしづあった。私はこうであったと。これからだん/\急がしなる。急がしなるから、用が多い。用が多いから、一人二人では行かん。こういう事はどうであろうあろうと、席に一つ、了てから、こういう事あったと話の間に、一つ追うてみるがよい。言葉の中に小田原話のようにも思うなれど、そうやない。真の事尋ねば真の事諭し置く。こういう事に思う、どういう事に思う、こういう事話聞かして貰いたいという、これだけ諭し置こう。

四月になって前おさしづに基き、本席に御相談なし如何な事でありますかを願いし処、神様御出まし御話あり、俄かの事であり書き取り出来ず心覚え記す
さあ/\尋ねる事情/\は、詳しく諭すからよう聞き分けてくれ。金銭というものは始末する者無くてはならん。誰彼取り扱うてはほこり付く。そこで会計三名と定めてくれねばならん。そこで芯は一寸した事をして、他に大きな事をさせて行けば明らかなもの。又大勢本部員ある。悪い者は無い。悪い事は一つもしやせんなれど、三名立ち並んで始末して行けば、皆んなに見せて満足する。それが大きな道に成る。このやしきに勤め、給料貰うて入り込んで居る。これが残念々々々々。今のさしづ人間の話ではない程に/\。

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