楽しみについて

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楽しみについて

皆さんにとって、将来の楽しみって何ですか?

5年後、10年後を想像したときに、自分にはどのような楽しみがあるのでしょう?

一人暮らしを始めること。
世界中を旅行すること。
結婚して家庭を持つこと。

20代くらいまでは、ぼんやりと想像できるかもしれません。

それでは、例えば60代や70代はどうでしょうか?

ここまでくると、自分がどうなっているのかイメージすることすら難しいかもしれませんね。

想像すらできない未来。
そのときまで続くような楽しみ……。

それは一体どのような「楽しみ」なのでしょうか?

「おさしづ」を読むと、実は、神様としても人間にいつまでも続くような楽しみを与えたいと思われていることが分かります。

明治22年3月2日の「おさしづ」に、次のような意味のお言葉があります。

これより、人だすけの道のために、末永く続くような楽しみを授けよう。

ここでは、神様が伝えたい「楽しみ」とは「人だすけの喜び」に通じたものであることが教えられています。

皆さんは、そうした楽しみを持ったことはありますか?

もし困ったことがあれば、誰かが力を貸してくれたり、あるいは反対に、自分も誰かの役に立ったり……。

思えば、そうした「たすけ合いの喜び」を味わえることは、私たちの人生の中で大きな楽しみの一つなのかもしれません。

人だすけには、いろんな形がありますが、神様は私たちのそうした楽しみが末永く続くように、病気に関する具体的な手だてを授けられました。

それは「神様からの授けもの」ということで「おさづけ」と呼ばれています。

ここでの「楽しみを授けよう」とは、この人だすけの手段としての「おさづけ」を指しています。

「おさづけ」とは、病気の回復をお願いする方法です。

具体的には、病人の病んだ箇所を手でさすりながら、その苦しみが和らぐように神様にお願いします。

病気の回復には医療が必要です。
しかし、たとえ高度な医療を施しても、経過が順調に進むためには、身体の不思議な働きが欠かせません。

メスで切った皮膚が、再びつながっていく不思議。
さじ加減の難しい薬が、その人にちょうど良く効いていく不思議。
その身体が、病気とうまく付き合っていく不思議。

私たちは、そのような不思議な働きについて「おさづけ」を通して神様に直にお願いすることができます


神様は、病気という人生の最も大変なときであっても、私たちが「たすけ合い」の楽しみを持てるような方法を授けてくださったといえるでしょう。

しかも、それは70歳になっても、80歳になっても、生涯にわたって実践することができます。

そして、きっと神様としても、私たちがお互いに寄り添い、たすけ合う姿をご覧になるのを楽しみにされているのではないでしょうか。

「おさづけ」という楽しみ。

皆さんは、もう戴かれましたか?
天理で神様のお話を聞いて順序を踏めば、「おさづけ」はどなたでも戴くことができます。

明治22年3月2日

西岡岩太郎二十二才(吉野郡佐田村)
さあ/\いかなる処/\、だん/\の席をしい、又々の席をして、一日の日を改めて席をする。さあ/\精神定めた/\心、さあ/\人間身の内は神のかしもの、心が我が理。誠は天の理、誠程強い長いものは無い。さあ/\鏡というは日々通る。内々家業と言う。さあ/\表も映る、裏も映る。尽す心が皆映る。見えて来るのも皆映る。これが四方正面と言うのやで。さあ/\人を救けるには、神のかしもの、我がものは心だけ、という理は、諭す処。又これよりたすけ一条のために末永くの楽しみを授けよう/\。あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を渡そ。さあ/\しいかりと受け取れ/\/\。

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