旅人からの質問

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旅人からの質問

皆さんは「三人のレンガ積み職人」という話を知っていますか?

旅人が、ある建築現場を通り掛かり、そこで作業している人に「あなたは、今、何をしているのですか?」と質問しました。

すると一人目は、こう答えました。
「私は今、レンガを積んでいます。」

二人目は、こう答えました。
「私は今、生活費を稼いでいます。」

三人目は、こう答えました。
「私は今、世界一の建物を建てています。」

この話は、たとえ仕事の内容は同じでも、人によって心持ちが違うということを伝えています。

一人目の職人は自分のしていることを「ただの作業」と思って働いていました。

それに対して、二人目は「生活費を得るための稼業」と捉えています。

そして、三人目は「世界一の建物を建てる」という大きな目的を持ってレンガを積んでいました。

一見すると同じことでも、実は、人によって「違うこと」をしているのですね。

さて、皆さんの中には、学生生活を終えると親里で本部勤務をしたり、教会で青年勤めをする人もいるでしょう。

例えば電話番をしたり、お風呂を掃除したり、食事を準備したり、資料を作成したり、草引きをしたり……

そのように形はいろいろとありますが、本部や教会で勤める用事はすべて「神様のもとでするご用」です。

それは学生生活を無事に過ごせたお礼としての「ひのきしん」であったり、将来の「徳積み」「伏せ込み」ともいえるでしょう。

しかし、同じ本部勤務や青年勤めでも、生活費を稼ぐための「就職」と捉えてしまうと、その意味合いは大きく変わっていきます。

例えば、お礼の行いは「報酬を求める行い」となり、慰労金としてのお与えは「給料」と見られるかもしれません。

その場合、同じ仕事でも、やはり本来のひのきしんとは「違うこと」をしているのだと思います。

おそらく「ただの作業」と思って勤めると、ただの作業になるのでしょう。

「おさしづ」には、ひのきしんについて次のような意味のお言葉があります。

たすけと言っても、一日なりともひのきしん、一つの心を楽しみ。たすけが現れる不思議な普請、それは真実を受け取るための不思議な普請。

明治23年6月15日

普請(建築)に代表されるような本部や教会でのご用は、その仕事内容に関わりなく、どのような心で勤めるかが重要です。

そして、この「おさしづ」では、たとえ日数が限られていても「一日なりともひのきしんさせていただこう」という心が大切であり、神様はそうした真実を受け取ってくださると教えられています。

そう思えば、本部勤務や教会での青年勤めは、自分自身が不思議とたすかっていくための種まきのようなものかもしれません。

旅人が、改めて私たちに問い掛けます。

「あなたは、今、何をしているのですか?」

明治23年6月15日

本席五六日前より腹差し込み、本日左の歯厳しく痛むに付願

さあ/\尋ねる事情は、まあ/\一寸一時分からん。何も彼もどんならんで。これからさあ/\三日三夜は何も彼もすっきり休む、一寸話をして置いて休む。三日の間皆談じ合い、一つ/\の理はこゝにある。一つ/\の理は何処にある。三日三夜は何も彼も休むによって、何を尋ねても答えはせん。まあ/\何も彼も待ち兼ね待ち兼ね、まあ/\よう/\いかなる事情も世界から理を運び、又々年が明けたら頼もしや/\、何でもなあと言う。皆世界から一日なりとも皆一つ/\の事情、この事情から話掛けるによって、よう聞き分け。どういう事である。まあ/\一寸一つ始め掛け。あちらも仮家/\、一寸事情があっていかなるも皆許し置いたる事情。こんな事がいかん。事情の理によって身上に迫り切る。のっけという、最初という、掛かりという。余儀無き事情に運んで、まあちよい/\との続き/\、事情は大抵の事やない。一寸その理は受け取る。たすけとても一日なりともひのきしん、一つの心を楽しみ。たすけふしぎふしん、真実の心を受け取るためのふしぎふしん。のっけから大層な事してはどんならん。一寸言わば日覆してあるようなものや。あちらも掛け出し、こちらも掛け出し、あゝ暑いから差し掛け、そら取れというようなものや。それより一寸これというは先々話。これもこう、心に成程々々、それより成程の理も治まる。頼もしいという。一日の日を見てようこそ真実という。後々の処は、人間心の理によって先に始め掛けるから、人間の心を開けて間違う。すっきり後へ戻る。戻るからどちから見ても、こちら理じゃない。めん/\も何をしたのやいなあ、何を見たのやらなあ、何と聞きたのやらなあ、勢の無い事や。くどく/\よう聞き分け。楽しみの無い事やと思うが、身に迫る。一寸まあ三日三夜の間すっきり休む。

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