守るべきもの

もくじ

守るべきもの

皆さんは、どんなときに遠慮しますか?

人から何かを勧められたときに
「あ、自分はいいです……」

自分の気持ちでも
「まぁ、今は言わないでおこう……」

私たちは、そのように遠慮することで自分のペースを守ったり、余計な波風を立てないようにしています。

確かに、色んな人と暮らす上では、自分の意見や行動を控えたりして、周りとのバランスを取っていく必要があります。

だからといって、お互いに遠慮さえしていれば、すべてがうまく治まるわけではありません。

ときに、遠慮することで、お互いの気持ちが離れていってしまうこともあるでしょう。

明治32年6月26日の「おさしづ」に次のような意味のお言葉があります。

上に立って下を治めるときは、下の理を思わにゃならん。

中略

あんな者くらいと言えば、小さいもの。よく聞き分け。元という理から治めれば、どんな事も治まる。人の遠慮はすっきり要らん。

ここでは、上の立場の人が下の人に対して遠慮するときへの注意が述べられています。

「あの人にこれを言っても、おそらく伝わらないだろう……」

「あの人にこの用事を頼んでも、多分引き受けてくれないだろう……」

このように伝えるべきことや頼むべきことを遠慮して、ついつい自分だけで事を進めたり、頼みやすい人にだけ頼んでしまいがちです。

しかし、そうすると一部の人たちだけの活動になって、みんなで心を通わせる場がなくなってしまいます。

私たちは「バランスを取る」と言いながら、遠慮することで一体何を守っているのでしょうか?

この「おさしづ」では「元という理」から治めるようにと諭され、続いて次のように教えられています。

小さいものを単に小さいとは言わん。もともとの始まりは、大きなところから始まったのではない。よく聞き分けよ。大きいと言って、それだけに心が寄ってしまってはならん。

教祖のひながたを見ても、最初は理解されずに「あれは憑きものか、気の間違いか」と言われた日もあったやろう。その治め方という。それぞれ心に成人がないと思って事を運ぶから、成人がなくなるのや。それでひながたの道と言えるか。

同上

何事も最初は小さく未熟なところからです。

初めから立派な人はいません。

この信仰の道に関しても、最初はよく分からないまま歩み始めるのでしょう。

実際、あまりにも理解できずに、おやさま(教祖)に対して「憑きものか、気の間違いか」と言った人もいたくらいでした。

しかし、おやさまは、そうした人たちも決して見捨てることなく、伝えるべきことを伝えながら、どんな人とも根気よく歩まれました。

他方で、自分自身を振り返ると、遠慮してその場を治めているつもりが、実はただ自分の殻に閉じこもって、言うべきことを言えないでいるということが多々あります。

相手に多少嫌な顔をされても伝えるべき、お互いにとって本当に大切なこととは何でしょうか?

明治32年6月26日

増野正兵衞左の下歯痛み、伜道興頭にくさ出来娘おとも鼻口くさ出来伺

さあ/\尋ねる事情/\、身上に一つ、日々心得んという。又一時小人事情、いかな事と思う。さあ/\尋ねるやろう/\。尋ねにゃ分かりゃせん。どちらのさしづこちらのさしづ、隔ては無いで。よう聞き分け。あちらが障る、こちらが障る。身上から尋ねたら、それ/\さしづに及ぶ。さしづの理は違わんが、さしづを尋ねるからは、さしづ通り運ばにゃ何にもならん。運んでこそさしづのこうのうと言う。何か聞き分け。内々事情あれば尋ねる。心得ん障りという。よう聞き取れ。どんな事もこんな事も、こうと思うても成るものやない。おらこう思う。互い/\中にこういう理もあろうと、順序から順序と言うで。人の順序から人押しの理ばかり。人の遠慮は要らんで。互い/\理を集めてこうという、道一つの理に治めにゃならん。幾度尋ねても何ぼさしづ受けても、さしづ通りの理を運ばねば何もならん。たゞ人間心の計らいでは順序とは言えん。道は道に立てず、理を理に立てず運びせんのなら尋ねるに及ばん。さあどんな所へ掛かるやら知れん。うっかりはして居られんで。

押して、何分分からぬ者であります故、理を立てず運びせん処は、御聞かせに預りましたら又運ばして貰いますと申し上げ

さあ/\内らの順序抑えるだけは抑えられる。なれど、だん/\順序遅れるばかり。これだけ尋ねたら、何かの事も分かるやろ。

押して、抑えるという理どういう処でありますや

さあ/\尋ねる処/\、何でもないように思て居る。一つ/\理に集めて何かの順序消して了う。小さいものが小そうない、大きいものが大きいない。何か改めて、よう聞き分けにゃならんで。

押して、小さいものが小そうないと仰せ下されますは、人の理か教会の事でありますや願

さあ/\尋ねる/\。尋ねるからはさしづという。何遍さしづしても、どうもならん。人の心に恐れるような事では、さしづすっきり要らんもの。上に立って下を治める、下の理を思わにゃならん。さあ取り違い/\。この理は何処へも掛からせんで。だん/\山坂を越え、この道順序という。あんな者くらいと言えば、小さいもの。よう聞き分け。元という理から治めば、どんな事も治まる。人の遠慮はすっきり要らん。

押して、本席の御安心下されます処運び方行き届かん処でありますや願

さあ/\尋ねる処/\、一時尋ねる事情/\、いかな事と思う。それだけの理たんのうして、喜んでも居るなれど、順序諭したる。小さいものは小さいとは言わん。始まりというは、大きい処より始まりたのやない。よう聞き分け。大きいと言えば、大きい処へ心寄って了てはならん。あら憑きものかいなあ、気の間違いやと言うた日もあったやろう。治め方/\という。めん/\心に成らんと思て運ぶから、成らんのや。それで道と言えるか。これだけ諭したら道の理は分かるやろう。分からにゃならん。

一寸して

さあ/\よい/\では分からん。よう聞き分け。身上に軽い障りの間に尋ねて、さしづ一つの理を受けたら、どうでもこうでもさしづ通り運ばにゃならん。あちらにも障りこちらにも障り、よう皆々の心に取り決まりてくれにゃならん。堅く諭し置く。うっかりはして居られんで。これでよいと思て居たら、よいがよいに立たん。

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