海外留学中のおてびき
私は幼い頃から教会でお育ていただきました。
とは言いながらも「なんで家が教会やねん」「なんでおつとめせなあかんねん」と、教会に対してネガティブで、特におつとめは自らすすんで出たことはありませんでした。そんな私に対して、親神様は信仰に向き合うきっかけを何度も与えてくださりました。
小学生の頃からラグビーを始め、天理高校と大学進学後も部活動をさせてもらい、大学2年生の時にはニュージーランドへ留学する機会を頂きました。
初めての海外、渡航の不安や懸念はありましたが、両親と周囲のサポートのおかげで、無事に留学生活が始まりました。整備された環境でのラグビープログラムと、日常生活はすべてが新鮮で有意義な時間を過ごしていました。
留学生活3日目の朝、アラームより早く目が覚めると、父と弟から何件もの通知が入っていました。慌てて折り返すと、「母が倒れた」と伝えられました。不安でいっぱいになりました。

おつとめとおさづけを通して
帰りたい気持ちと、どうしたらいいか分からずパニックの中、父から「日本と時差のあるニュージーランドでお父さん達が少し休む間、お願いづとめしてほしい」と伝えられました。
近くに天理教の教会はなく、私はホームステイ先のフローリングの一室からおぢばに向かって、「母の身上をおたすけください」と一心におつとめをしました。一緒に留学していた友人も天理中学校出身ということもあり、お願いづとめをしてくれました。
母の容体がわからず、何度も父と弟から様子を聞き、そのたびにおぢばへ向かっておつとめをしました。そうしないと落ち着くことができませんでした。帰国の便が決まってからは、どうか身上をご守護いただき、母に会えるようにお願いしました。
日本の空港に着いた時、息を引き取ったとの連絡はありませんでした。迎えに来てくれた家族に会えた安心感と、自教会の神殿で参拝できた安心感は今でも覚えています。
病室での面会時、母の意識はありませんでした。ですが息を引き取る前に会うことができ、親神様が働いてくださったと素直に感じました。そしておさづけを取り次ぐこともできました。
成人を迎えたばかりの学生時代に、母の身上にお手入れいただくというふしを通して、繋いでくれた親からの信仰があることが心強く思えました。それは、本当に困った時におすがりできる親神様の存在を、親が伝えてくれたからです。
また、普段なら教会に住んでいるのに、おぢばから遠く離れた海外留学のタイミングでふしをお見せいただいたことで、いつでも神殿で参拝できる教会においていただいているのは当たり前ではないと気付くことができました。
これからも教会においていただけることに感謝しながら、神殿でおつとめできる喜びを味わい、親の思いに素直に応えられるよう、勇んで通らせていただきたいと思います。

