中西はつよ「お見せいただくすべてがサプライズ」

両親と過ごしたアフリカ・コンゴでの布教生活。そんな幼い日の出来事です。

猛烈な雨が降る真夜中、私たち兄妹の寝室に泥棒が入りました。気配に目を開けると、頭上から私をのぞき込む真っ裸の泥棒と目が合うという、今、思い出してもゾッとする経験をしました。

「変な人がいる!」と両親の寝室に駆け込むと、驚愕(きょうがく)した顔で、「何もされてないか? 無事で良かった」と抱きしめられました。そして「神さん、守ってくださったんやな。お礼言わしてもらおうな」と言った母の言葉が思い出されます。

そんな親の心配をよそに、子どもだった私は恐怖よりむしろ、「スッポンポンの泥棒さんや(笑)」と言って兄妹で、はしゃいでいたことを覚えています。

このように生きている道中には、予期せぬことやさまざまなことが起こってきます。

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親心のサイン

病気や災難は、不幸や不運と片付けられがちですが、お道では逆なんです。

当時、病弱だった私は親から「おさづけ」を取り次いでいただくたびに、この身体・世の中のものすべては、親神様(おやがみさま)からのお与え(かしもの・かりもの)であること。

私たちの生きる目的は、互いにたすけ合って暮らす「陽気ぐらし」であるということが分かるように、親神様が病気やいろんなことを表して見せてくださるんだと聞かせてくれました。

それは、危ない道に行かないように導いてくださる親心のサイン、メッセージだと、幼い私の心に治まるまで何度も話してくれたことが心に浮かびます。

実際、病弱だったおかげで、私は「おつとめ」を真剣に勤め、祈ることや、幾度となく取り次いでくれた「おさづけ」のありがたさを身に感じることができたように思います。

先ほどの泥棒の話も、幼い兄妹で、はしゃいでいた姿だけ見ると、単なる笑い話のようですが、取られたのが物だったから笑えるのです。一つ間違えれば命を取られるということも十分考えられたのですから、今こうして生きていることも、決して当たり前ではないと思えるのです。

神様からのサプライズ

私たちが見ること、聞くこと、成ってくることのすべては、きっと偶然ではなく必然なのだと思います。

常々耳にさせていただく「身上・事情は道の花」と仰せくださるそのお言葉に、私はお道の素晴らしさと親心の温もりを感じます。

だからこそ、私はいつも見せていただくことは神様からのサプライズだと思うようにしています。それぞれ一人ひとりに見合ったすてきなプレゼントを用意してくださっていると思うのです。

つらいこと苦しいこと難儀なことに出合ったときこそサインを見失わず、教祖(おやさま)を信じ、どんなサプライズが用意されているのだろうかと、この先も私に与えられた道を楽しんで歩みたいものです。

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