妹尾智昭「君のままで」

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心にかかる靄(もや)

皆さんは、自分のことが好きですか? 嫌いですか?

私は残念ながら後者です。いいところもあると人に言われても受け止められず、自信を持てずに生きてきました。

教会で生まれ育った私は幼い頃から、人に喜んでもらいたい、人の役に立ちたいと思う気持ちがありました。しかしその一方で人に嫌われたくない、必要以上の評価を得たいと無理をしていたのも事実でした。

そんな心がだんだん大きくなり、いつしか人に対して不満を持ったり、人を信じられなくなったりしました。自分が傷つかないように相手を悪く見るようになってしまったのです。「ほこり」ですね。

そんな自分を好きになれず、心にいつも靄(もや)がかかっているようでした。本当に自分のことしか考えていなかったなあと思います。

それでも天理教の教えは素晴らしいと思っていましたし、少しでも陽気ぐらしに向かう自分になりたいと努力はしているつもりでした。努力をしないと、もっと自分が嫌いになりそうだったから。

もっと柔らかく、「らしく」生きる

時は流れて自教会で青年づとめをしていたある日、頑張ることに疲れた私は、その時に抱えていたすべてを投げ出し思い切ってアメリカに渡りました。知人の布教所でお世話になり、1カ月間ただ自分のために時間を使おうと決めたのです。

アメリカでの生活は見るもの聞くものすべてが心をワクワクさせてくれました。特にアメリカ人である布教所の奥さんとの会話では心が洗われました。

神様の前で寝転んでテレビを見ていても「神様も隣でリラックスしてくれてる方が喜ぶよ〜」と声を掛けてくれたり、一緒に神床(かんどこ)を眺めながら「本当は植物を飾ったら自然に囲まれて神様も嬉しいんじゃない?」「壁もステンドグラスにしたらきれいだよね」と面白い話をしてくれたり。

そこには神様と隣り合わせで自然に暮らしている姿がありました。

あぁ、これが信仰か。

今まで自分は、こうしなければならない、こうあるべきだ、という固定概念に縛られていたんだと気付き、どんな時も神様に喜んでもらうことを考える大切さを学びました。

人の目を気にするのも、無理をするのも、もうやめよう。もっと柔らかく、「らしく」生きよう。

自分を認めるということ。それには自分を知ることと、他人を認めることがとても大事だと思います。

そうして人と比べるのではなく、自分を受け入れて自然体で生きる。神様と共に。

昨年、そんな私も教会長になりました。今は、昔よりも少し自分のことを好きでいられています。

人は、そのままで輝いている。

「君は君のままでいいんです」

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