狩野良「幸せのヒント」

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自暴自棄だった学生時代

小学6年生の時に母親を病気で亡くした後、家族の仲はうまくいかなくなりました。

私は家を出たい一心で、おぢばの高校へ入学しました。しかし、動機が不純だったがゆえに真面目に学校生活を送らず何度も停学になり、最初の夏休みは無期停学で自教会にいました。

学校を辞めようと考えていた矢先の8月15日の夜、台風の影響で教会の裏の山がごう音と共に崩れ落ちました。父、姉、私は逃げることができ奇跡的に無事でしたが、母親との思い出がいっぱい詰まった家は一瞬にして土砂に埋まり、全壊しました。

私は心をふさぎ込み自暴自棄になり、不幸だと感じる原因を天理教のせいにして、信仰しないことが幸せへの第一歩だと思いました。ですが、住む場所が無くなったため、仕方なく高校へ戻り寮生活を続けました。

その後、天理大学に進学しましたが、2年生の時に取得単位ゼロで大学を辞めることになりました。

心の向きを変えてみると……

これからは天理教と縁を切り自由奔放に暮らそうと思っていた20歳の4月、同じ大教会の仲の良い先輩に誘われて、青年会ひのきしん隊に入隊することになりました。

そこは24日間毎日ひのきしんをするという、私が想像する幸せな生活とは真逆の生活をする場所でした。

そしてそこで、誰よりも率先して楽しそうにひのきしんをしていた同年代の青年と出会いました。

当時の私には、ひのきしん漬けの生活のどこが楽しいのかが理解できず、彼に理由を尋ねると「家族の中で唯一信仰していたお母さんが最近出直してさ。迷惑ばかりかけてきたからこれを機にお母さんの意志を受け継ごうと思って天理教始めたら、めちゃくちゃ楽しいんだよね」と話してくれました。

私は20年間一度も天理教っていいなと思ったことは無く、母親の意志を受け継ごうなんて考えたこともありませんでした。

この言葉を聞いて、自分が教えの魅力に気付いていないだけかもしれないと感じ、初めて天理教に興味を持ちました。

もしかしたら私も、彼のようにふし、、を喜べるようになるのではないかと思い、教えを求めてみると『天理教教典』に

人の幸福は、その境遇に在るのではなく、人生の苦楽は、外見によつて定るのではない。すべては、銘々の心の持ち方によって決まる。

『天理教教典』 第七章 「かしもの・かりもの」72ページ

とありました。

「人だすけに歩んだから寿命を10年長くおいてもらえたんだね」と母の葬儀の際参列者に言われたと父が話していたことを思い出しました。それを聞いた時は「こっちの気持ちも分からないくせに勝手なことを言わないでくれ」と腹立たしく思っていました。

しかし、教典のこの一節を読んだとき、一瞬にして「天理教の信仰のおかげで12歳まで母親と生活でき、いろいろな思い出を作ることができたんだ」と感謝の気持ちが湧いてきて前向きに考えられるようになりました。

また天理教から離れようとした時に起こった土砂崩れも、心の持ち方を変えてみると「あのふし、、があったからこそ今お道とつながっているんだ。ありがたいなぁ」と考えられるようになりました。

「幸せ」とは

あなたは今、当たり前の日常生活において都合の悪いことをつい人や環境のせいにしてはいませんか? その気持ちはとてもよく分かります。でもそれは、もしかしたら心の持ち方で見え方が変わるものかもしれません。

私も、悩みや思い通りにならないことも人並みにありますが、自暴自棄だった学生時代には考えられないほどありがたく幸せな日々を送っています。教えに触れ、教祖のひながたをたどる中に、心の向きが変わる瞬間があり、そこに幸せがあるのだと実感しています。

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