小塚久実「大きな親心」

もくじ

なぜ人々を悲しませるの?

5年間のおぢばでの生活を終え教会へ戻った私は、お道のご用を優先しながら働くことにしました。その中で、人のことを思い、お願いして通らせていただくことを心に決めました。しかし、働くことが楽しくて、いつしかご用は二の次になっていき、自分のことだけを考えて過ごすようになっていました。

そんなある日、知り合いのSNSに、台風の被害を受けた被災地で復興支援の活動をしているとの投稿がありました。その内容と現地の写真を見ていると、居ても立ってもいられなくなり、すぐにその人に連絡して次の活動日に一緒に参加させていただくことにしました。

現地に着くと、目に入ってくるもの全てが泥で覆われていました。

その日訪れたお宅は、160cmある私の身長より高い所まで水に浸かったそうです。

水に浸かった床や壁を全て剥がして、泥をかき出し終わると、家の原型はほぼありませんでした。

そして、そのお宅のご主人と話をし、今はどこで生活をしていて、家族の人たちはどうしているのかなどを伝えてくださいました。その目はどこか遠くを見つめ、時折、涙を流しておられました。

私はその姿を見たとき「なぜ親神様は人の生活を奪い、命までも奪って、たくさんの人を悲しませるのだろう?」と疑問がわいてきて、ただただ胸が苦しく頭が真っ白になりました。

それも、大きな親心

被災地から帰ってすぐのこと。私は教会の朝づとめで読んだおふでさきのある一節にハッとしました。

かみなりもぢしんをふかぜ水つきも

これわ月日のざねんりいふく

『おふでさき』第8号58

この事をいまゝでたれもしらんから

このたび月日さきゑしらする

『おふでさき』第8号59

月日にハみな一れつハわが子なり

かハいゝばいをもていれとも

『おふでさき』第8号60

月日よりこわきあふなきみちすじを

あんぢていれどめへ/\しらすに

『おふでさき』第8号63

私はこれらのおうたを読んだ時、心がすーっと温かくなり、涙があふれてきました。未熟だった私は、つらい現実を目の当たりにした時、親神様の親心を知らずに責めてばかりでした。しかし、これらのおうたを読み、どのような身上や事情も子どもの行く末を案じるがゆえの親神様のてびきなのだと知りました。親神様の親心はどこまでも果てしなく、常に私たちを成人の道へと導いてくださっているのだと思います。

また、被災地に行ったことで、人のことを思う大切さを再確認しました。そして、おつとめで被災された方々のたすかりを願うなど、現地に行けなくても人のためにできることがあることを思い出し、信仰していて本当によかった! と思った瞬間でした。

親神様から頂くメッセージをしっかり受け取れるよう、親神様の親心を悟れるよう、今日も心づくりに励みたいと思います!

この記事をみんなにシェア!
もくじ