大川敬祐「たすけ合う仲間を持つこと」

もくじ

学生として参加しとけば良かったな

大学生だった頃、同じ大教会の先輩から「学修大学の部 があるから参加してみないか?」と誘われました。※ 学生生徒修養会・大学の部

「学修? バイトがあるので無理です!」とハッキリと即答しましたが、学修スタッフを務めていた先輩も「絶対楽しいから」「行って後悔はさせない」と譲りませんでした。

何度かお誘いの連絡をくれましたが、学生生活を思いっきり楽しんでいた当時の私にとって、わざわざ奈良県まで行って一週間の合宿生活を送ることには何の魅力も感じず「いや、無理です。バイトが休めません」の一点張りで断りました。

しかし、それから何年か経ち、初めて学修大学の部のスタッフをすることになった私は「あの時学生として学修に参加していたら」とちょっぴり後悔することになるのです。

心を一つにするため

初めて学修大学の部のご用を頂いた当時、「布教の家」を卒寮して単独布教をしていました。その頃の私は、何でも一人で解決しようとするあまり、スランプに陥ってしまい、つながったおたすけ先が全て切れ、にをいが全くかからない日々を過ごしていました。

勇んでいた心も消えかけていた、そんな時に頂いたカウンセラーのご用でした。

私も学生さんも最初こそ緊張感がありましたが、プログラムを通して次第に仲良くなり、悩みを打ち明け、互いにたすけ合いながら絆を深めていきました。

中でも、プログラムの一つだった「にをいがけ」に焦点を合わせて「一人でも多くの人に信仰の喜びを伝えたい」と目標を決めました。そして班員の心を一つにするために自分の弱さをさらけ出しました。学生さんが話し合いや準備を進めていく勇んだ姿に感化され、消えかけていた勇み心を徐々に取り戻すことが出来たのです。

そして、学生さんたちに信仰的なお土産を持って帰ってもらいたいとの思いが強くなり、にをいがけでは全員がおさづけを取り次がせていただけるようにとみんなを鼓舞し続けました。

たすけ合える仲間を持つこと

にをいがけを行った駅周辺では、どこを見渡しても、おさづけを取り次いでいる班員の姿がありました。

一つの目標に向かって勇ませ合い、互いにたすけ合いながら11人全員がおさづけを取り次ぐことができたあの感動は、今でも私の信仰人生に大きな影響を与えています。

一手一つに皆結んでくれるなら、どんな守護もする。

おさしづ 明治31年1月19日

最後に、自分の弱さをさらけ出し「たすけ合える仲間を持つこと」で、当時のスランプから見事抜け出すことができました。しかし、今でもちょっぴり後悔しているのは、あの時学生として学修に参加していればあんなスランプに陥ることは無かったのでは・・・・・・ということです。

皆さん学修でお待ちしています笑

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