飯田啓示「お土産」

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悔しさが残った学修

本年の「学生生徒修養会 高校の部」のスタッフとして、事前研修と直前研修を終え、本期間2日目の朝の出来事。

ピッ、37度8分です…。

私は新型コロナウイルス陽性者となり、学修スタッフを辞退することとなった。

私は学修のご用が大好きで、本年も務めさせていただけることがうれしくてたまらなかった。なぜなら、学修をはじめ、おぢばでのご用を勇んで務めさせていただくと、素晴らしい出会いがあったり、心が変わるお話を聞かせていただいたり、手本としたいと思えるような教友の姿を見ることができたりと、いつも教祖からたくさんのお土産を頂けるからである。

本年も辞退となるまでは勇んでご用を務め、たくさんのことを学ばせていただいていた。そんな中の辞退であった。

幸い重症には至らなかったものの、頂いたご用を務められない悔しさ、その穴を埋めてくださる周りのスタッフへの申し訳なさで、心も体も苦しい療養期間となった。それから数日が経って、体の方は元気になったが、心が晴れることはなかった。

頂くばかりでなく

ある日、参加した行事で「理づくり」について、こんなお話を聞いた。話してくださった先生は「理づくり」を教祖へのお土産として、おぢばでのご用の前には心を込めて勤められているとのこと。

そのお話を聞かせていただいて、私は胸を打たれたのと同時に辞退となった学修を迎えるまでの私の姿勢を反省した。

私は教祖よりお土産を頂くことばかりに胸を躍らせ、教祖がお喜びくださるお土産(理づくり)に心がこもっていなかったと反省した。

それ以来、日はまだ浅いが、おぢばに帰らせていただく時には、教祖がお喜びくださりそうなおたすけのお話や勇んだお話を持ってご挨拶に行かせていただくようになった。

そうしていると、すっかり心のわだかまりも無くなり、「次おぢばに帰らせていただく時には何をお土産に持って帰らせていただこう」と勇んだ気持ちで毎日を過ごせている。

人生の中にはいろいろなことが起こり、つらく大変な時には自分の視野が狭くなっていく。「なぜ自分がこんな目に…」。しかし、そこには私たちをたすけてやりたいという親神様の思いが込められている。

どんな中でもお道とつながっていれば、たすかるきっかけをいただけるのだと感じた。

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