指先に力を入れて
皆さんは、おぢばの朝づとめ後などに、ビシッとそろった行進をしている集団を見たことがあるでしょうか? その正体は天理教校の専修科生、私も天理高校を卒業してから天理教校でお育ていただきました。
一時期、先輩から行進の時や整列時、また、おつとめまなびの際に「指先が離れている、くっつけろ!」「指先をしっかりと伸ばせ!」と何度も何度もご注意いただくことがありました。私は、先輩からしつこく注意されることが嫌で、これでもかというくらいに指先に力を入れて過ごしていました。
ある時、おてふりの講義で先生から「真太郎のおてふりはロボットみたいやな」と、そして「教祖はそんなお手は振っていなかったと思うけどな」と、ご指摘いただきました。
おつとめは、みかぐらうた、手振り、鳴物、すべてを教祖が直々に教えてくださいました。私たちが信仰する上で、しっかりとおつとめを勤めることが、親神様のご守護を十分に頂く元であり、教祖のひながたをたどり、世界をたすけていく根本の手だてで、「たすけのもとだて」ともお教えいただく、一番大切な勤めです。
先生のご指摘を頂いてから、教祖がお教えくだされた手振りは、どんなお手だったのだろうかと、思いを巡らせるようになりました。『稿本天理教教祖伝』や直接教わった先生の話からは、
これは、理の歌や。理に合わせて踊るのやで。(中略)つとめに、手がぐにゃぐにゃするのは、心がぐにゃぐにゃしているからや。
『稿本天理教教祖伝』 第五章「たすけづとめ」P95より抜粋
また、
五本の指をしっかりと付けて振る。
敷島大教会編『山田伊八郎伝』「てをどりお手つけ」参照
と教えて下さっています。
そんな中にも、教祖は人間の元はじまりにおける母親の魂のいんねんあるお方なので、きっと温かく優しいお手を振られていたのだろうと、私は思います。
教えてくださった通りのおつとめを
それから私は、毎日の本部朝づとめ後の教祖殿でのまなびの際に、結界の最前列に陣取り、教祖のお姿を思い浮かべながら「今日は一緒に立って振ってくださるのですね」「この手はこれで合っていますか?」と、心の中で教祖に話し掛けながら手振りをするようになりました。このように教祖をお慕いしておてふりをしていると、とてもありがたくうれしい気持ちになり、何よりも勇んでおつとめを勤めれるようになっていきました。
ある日、まなびが終わり振り返ると、専修科の女の子から「佐々木さんのおてふりは、いつもキラキラしていて、すてきですね!」と声を掛けられました。愛の告白かと思ってしまいましたが、そうではありませんでした…。しかし、心勇んで勤めているおつとめで、こんなことを言われたので、本当にうれしく感じたありがたい経験でした。
あれから20数年が過ぎ、時々ボケーっとしたり、いろいろなことが頭を巡り集中できていないおつとめもあったりなかったりします。しかし、今でも月次祭や日々のおつとめの時には、教祖が教えてくださった通りのおつとめを勤めたいと、教祖をお慕いして、勇んで勤めるよう心掛けています。
おふでさきに、
みなそろてはやくつとめをするならバ
『おふでさき』第1号11
そばがいさめバ神もいさむる
つとめさいちがハんよふになあたなら
『おふでさき』第10号34
天のあたゑもちがう事なし
どのよふにむつかしくよふみへたとて
『おふでさき』第12号61
よふきつとめてみなたすけるで
これからハ心しいかりいれかへて
『おふでさき』第13号10
神にもたれてよふきつとめを
とあります。
教祖140年祭に向かう、三年千日の年祭活動も2年目に入りました。皆さんも教祖をお慕いして、教祖にお喜びお勇みいただけるようなおつとめを、共に勤めさせていただきましょう!
参考文献…『稿本天理教教祖伝』、『稿本天理教教祖伝逸話篇』、敷島大教会編『山田伊八郎伝』「てをどりお手つけ」