確信への歩み
本当にあった話
大学の教授が歩いていた。横を通り掛かった車の中から、その教授の友人が「乗っていきますか? 送りますよ」と声を掛けた。すると教授は「いや結構、急いでいるから」。そう言って歩いて行った。タイ、バンコクの渋滞はそれほどすさまじい。
第二歩 踏ん張り
タイへ再留学し、大学2年目のある日、女性教授が講義の終わりに「父の葬儀になるかも知れないので、来週は自習になると思います」との話。
留学当初の決心は継続中。教授の元へ行き「先生、私は天理教という宗教を信仰しております。お父さんの病気が少しでも良くなるようにお祈りを」そう言い終わらぬうちに、「私は仏教徒です。そんな聞いたこともない宗教にお祈りされて、父が地獄にでも落ちたらどうするんですか!」と言われ、驚いた。
よほど切羽詰まっていたのか。その場はお父さんの年齢と名前を聞いて退散した。断られて少しほっとしている自分。今回は大変冷静な対応ができた。
翌週、その女性教授の講義が平常通り行われた。講義の後「先生、お父さんはいかがですか?」と、尋ねると予想に反して、「倒れてから一週間、意識は無いが、みけんにしわを寄せ、とても苦しそうにしている。母にあなたのことを相談したら、ぜひ来てもらってほしいということなのですが……」とのこと。
その日のうちに病院を訪れ、母親から丁寧なあいさつを受けた。教授のきょうだいもそろっていた。社長、弁護士、医者などの肩書を持った多忙な方々だが、どうすることもできず困った様子。
重苦しい雰囲気の中、親神様(おやがみさま)・教祖(おやさま)について話し始めた時に、「こんな宗教聞いたこともない。本当にたすかるならもっと有名なはずだ」。
そんな会話が聞こえてきた。沸々と胸の中で何かが込み上げてきた。お父さんのベッドの前へ立ち、「今、お父さんは意識がありません。ですから、このお顔はあなた方に対するメッセージです。たすかってほしいのか、早く息を引き取ってほしいのか、皆さんがどう考えているかは知りませんが、3日の間に結果が出ますから、しっかりとお父さんを見てあげてください」。そう言ってしまった。
一度目のおさづけ。取り次ぎが終わるとほぼ同時に、「ガタガタガタ」酸素吸入器が止まった。家族の誰かが「一回で死ぬのか!」と言った。
冷や汗が流れた。看護師が来て酸素マスクを外すと、自然呼吸を始めた。「あっ、大丈夫みたい」そんな声が聞こえたすきに「また明日来ます」と言って、逃げるようにその場を後にした。
翌日、病室に行くと、なんと昨日までの苦しそうな顔がうそのように、穏やかな顔で眠っている。意識は無いが、たまに目を開けてキョロキョロする。
良い顔になりましたね」「はい、あなたのおかげで」と教授。しかし、ほかのきょうだいは「いや、ずっとそんな顔だよ」との返事。その日はお父さんと、社長である教授の兄の首におさづけを取り次いで帰った。
いよいよ3日目。家族が見守る中、おさづけを取り次いだ。が、変化はない。「天理教は三日三夜(みっかみよさ)のお願いですので、今から24時間で結果が出ます。しっかりとお父さんを見てあげてください」そう言うのが精いっぱいであった。
翌日の26日。大学で試験を受け、病院へ行く前に自分のアパートへ戻った。今日は何と言おうか、そればかり考えていた。
「メモが届いているよ」と、管理人に呼び止められた。エレベーターへ乗り込みメモを開いた。
「信也さんへ。本日12時ごろ、家族みんながいたのに、誰一人気付かないほど安らかに父は息を引き取りました。本当に良い顔をしていました。ありがとう。葬儀はただの儀式ですので来る必要はありません。あなたの思いはしかと頂きましたから、今日からは試験に向けて頑張ってください」気が付くと涙がぼろぼろ流れていた。
おたすけに出ると、迷ったり、行き詰まったりすることもある。しかし信じて、逃げずに前進する中に、親神様・教祖は踏ん張ってくださるのだ。