野口信也「確信への歩み」

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確信への歩み

ホッとするホットなお正月

バスが赤信号で止まった。顔を白く塗った男が乗り込んできた。手に持ったバケツの水をいきなりバシャ! 「キャー」「うわっ」と乗客。でも、みんな笑顔。4月、真夏のタイ正月の一場面。この期間、どんな服装をしていても水の掛け合いに巻き込まれる。

人口約600万人を擁する大都市バンコクでも、この時期だけはタイ人の持つ本来の人柄を垣間見ることができ、何となくホッとする。もう一つホッとするのは、毎朝、黄色い袈裟(けさ)を着た僧侶の托鉢の様子。

人々はご飯やおかず、野菜、果物を僧侶に献じる。今日一日幸せでありますよう、家族が元気でいられますように。こうした思いが込められている。

第一歩 ためし

人口6400万人の約94パーセントが仏教徒といわれるタイ王国へ、私が留学したのは22歳の時。海外部からの派遣留学で、期間は2年。ただ、私の中では「あまり勉強のできない私が行くことになったのは、天理教の教えをしっかりと広めるため」こう思って張り切っていた。

が、1カ月目に父親が倒れ、急きょ一時帰国。この大ふしを機に「今後、病気の方に出会ったり、聞いたりしたら、すぐにおさづけを取り次ぐ」。こう一大決心をして再度タイへ舞い戻った。

こうした時、親神様(おやがみさま)はその心をお試しになるかのように、面白い場面をご用意くださる。

1度目は大きなタイの国際空港で。布教師の先輩方とおぢば帰りする団体を空港で見送り、その後、日本から来る方の出迎えのため、私1人が空港へ残り、先輩方は全員帰った。その直後、少し離れた場所でタイ人の女の子が倒れた。近くにいた西洋人の男性がその子を抱えていすに寝かす。

どんどんやじ馬も寄ってきて人だかりが。「どうしてこのタイミングで!?」あの決心が頭をよぎる。どうしようかと思案したが、こんな広い公の場で、それも突然のことだったので「とりあえず氷でも持って行き、状態が良くなったら今回はおさづけはなし」。

そう固く心に決めて、店でもらった氷を恐る恐る持って行った。しかし、良くなるどころか「頭が痛い」と涙を流し、けいれんまで起こしそうな様子。こうなっては仕方がない。

心配そうにしている友達に、思い切って「あの、天理教という宗教をしている者ですが、ちょっとお祈りを」そう言い掛けたところで、男の子から「関係ないやつはあっちへ行け」と追い払われた。その断られ方が良かった。というか、その反動で「いいから! 彼女をたすけるからどいて」と、倒れている彼女の前へ半ば強引に歩み寄り「あしきはらいたすけたまえ……」何回手を振り、何回唱えたか覚えていない。緊張で目まいを覚えながら、必死におさづけを取り次ぎ終え、かしわ手をパンパンと2回打った。

するとその瞬間、女の子がガバッと上体を起こし、右手で頭をポンポンと2度たたきながら「ああ、頭痛かった」と言った。

急な展開をのみ込めず、ぼーっとしていると、その子の友達が「お兄さん、ありがとう、ありがとう」と手を合わせてお礼を言ってくれた。

ああ治ったのか、と思った。その後すぐ、空港の係員が、念のためにと医務室へ彼女たちを連れて行ったが、その後が驚いた。まだ迎える方の飛行機到着まで時間があるので、コーヒーでも飲もうかと歩き始めると、タイ人、西洋人、アジア系の人、袈裟を着たお坊さん、ターバンを巻いた人など、周りにいた人たちがキツネにつままれたような顔をして、私の方をじーっと見ている。

いろんな国のいろんな信仰を持った方がたくさんいたに違いない。でも、彼女を助けたのは、唯一おさづけの理。とても気持ちが良かった。

親神様とお約束すると、いろんな場面でそれをお試しくださる。その時、親神様との約束を守るか、自分の都合を取るか、ここが大きな分かれ道。どんなに無理に思えても、親神様の方を選択すると、その理は鮮やか、結構にご守護頂けるのだ。

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