野口信也「確信への歩み」

もくじ

確信への歩み

おばあさんのおたすけ

「99歳のおばあさんの葬儀が明日から1週間行われるので来てほしい」と友人から連絡があった。

タイのお通夜は長い。このおばあさん、何度も入退院を繰り返し、医者からは「今回はもう駄目なので親族を呼んでお別れを」と言われていた。そこで私も病院へ行き、最後のおさづけをさせていただいた。するとその夜、明日の葬儀は中止、おばあさんは自宅療養になる、と連絡が入った。私は翌日から留学を終えるまで、毎日おばあさんにおさづけを取り次いだ。

第三歩 確信へ向かって

さて、留学から帰国して7年目の冬、タイから一本の電話があった。例の友人の義理の姉からで、良性の腫瘍摘出手術を受けたところ、悪性と分かり、卵巣を2つとも摘出するなど、できるだけの処置はしたが転移がひどく手に負えないとのこと。

その方のご主人からも「医者にあと1年の命と言われた。私たち夫婦と娘一人、仲良くいつまでも暮らしていきたい。何とかたすけてほしい」との相談である。このご夫婦は、以前のおばあさんのおたすけのこともあり、真っ先に天理教にたすけを求めてきたのだ。何としてもたすかってもらいたい。

しかし、こんな時の私はとても弱い。どうすれば良いのか気持ちだけが焦る。いずれにしろ直接のお話とおさづけの取り次ぎが必要と思い、上司に3日間の休暇を願い出た。すると、おたすけなら何日でも、と二つ返事で許しをもらうことができた。

ただ、それでも心が定まらず出発の日を迎えた。飛行機の窓からぼんやり雲を眺めていると、ふと『稿本天理教教祖伝逸話篇(こうほんてんりきょうきょうそでんいつわへん)』のお話を思い出した。当時の最も丁寧なお願いの方法は、座りづとめと十二下りを朝3回、夜3回、これを三日三夜(みっかみよさ)勤める。

私がタイへ到着するのが朝の5時で、帰国が2日後の23時50分。ちょうど3日。よし、これだと決めた。

空港に着くと、その足で友人宅へ行き一度目のおさづけ。その後すぐタイ出張所に向かい、座りづとめと十二下りのお願いづとめ。その後また友人宅へ戻り二度目のおさづけ。

こうして3回、4回と繰り返した。夜から朝にかけての5、6回目はお宅へ泊めていただき、その一室でお願いづとめ。こうして3日間、6回、6回、6回のおさづけとお願いづとめを勤め、あいさつもそこそこに帰国した。おたすけざんまいの3日間。それでもまだ心配で心配で仕方がなかった。

年が明け、ある先生がこんなお話をしてくださった。「私の知り合いにも、がんが脳まで転移し、意識が無くなった方がいてね。普通は難しい話なんだけど、3日間おさづけをさせていただいたら、少しずつ良くなって、この前の祭典には参拝に来られたんだよ」と。それを聞いた瞬間、そうだ神様がおられるんだ、と、不安が一気に消し飛んだ。

3カ月後、会議のためタイを訪れた時、おさづけを取り次いだ友人の義姉から、食事をしたいと誘われた。抗がん剤治療中のはずでは? と思ったが、会ってみると驚くほど元気な姿だった。

さらに1年後、今度は自分で車を運転して食事に誘ってくれた。薬の副作用で、全く無くなっていた髪の毛は生えそろい、「血液検査をしても、エコーを撮ってもがんの影一つ残っていないので、医者が首をかしげるんです」と、うれしそうに話してくれた。

手術から3年たった今年、このご夫婦はおさづけの理拝戴を決意。ところが、出発が1カ月後に迫った時、がんが再発した。それでも本人は、早く見つかって良かったと喜んだ。

現在、本人家族、妹家族、そして同居の父親もが集まって、毎日おつとめ練習をするようになり、私もそこに毎日おさづけを取り次ぎに行かせていただいている。最初の鮮やかなご守護で神様の存在を感じ、がんの再発で親族そろっての信仰が始まったのだ。

「ふしぎあらわしたすけせきこむ」親神様(おやがみさま)・教祖(おやさま)は、不思議なご守護を通して、我々に神は間違いなく存在するということを知らしめ、真にたすかる道へとお導きくださる。

人間のをやが本当におられる、教祖がそばにいてくださるということを確信するため、そしてその揺るぎない安心感、喜びを、一人でも多くの人と分かち合うため、これからもおたすけにまい進していきたい。

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