川口道宣「二つの気付き」

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二つの気付き

教祖と私の元一日

20代の頃、身も心も定まらず、将来にも光が見えずに悩んでいた。そんな私を心配し、いろんなお道の方が声を掛け、手を差し伸べてくださり、その手を掴み、引き上げていただいた。

そして「おぢば」に伏せ込むことになった。ところが、慣れない環境に必死になるあまり、毎日の生活がしんどくなり、心の弱かった私は、いわゆる五月病のような状態になった。たった数ヶ月で音を上げそうになったのである。

辞めたい気持ちが日に日に膨らみ、いよいよ辞めようと思った日の朝、ふとこんなことが頭に浮かんだ。

大変失礼な話になるかもしれないが「教祖(おやさま)って、ご存命、ご存命って言うけど、お姿は見えないし何も感じないし。う~ん。本当に居られるのか……、確かめてみよう……」。そして、教祖殿の御用場で教祖に拝をしながらこう問い掛けた。

「教祖! 私もう辞めようと思います。つらいんです。こんな気持ちの私ですが、もし、ここに居ても良いのでしたら、何かサインか、ご用を与えていただけませんか?」

すると、当時を思い出すと今でもゾワゾワッとして胸が締め付けられるのだが、頭を上げた瞬間、後ろからポンポンと肩を叩かれた。ビクッとして後ろを振り返ると、しんどそうな青年の姿が……

「どないしたん?」と聞くと、
「しんどいから『おさづけ』してくれへん?」と彼は言った。

私は「あぁ……、教祖ありがとうございます……」と無我夢中で真剣におさづけを取り次がせていただいた。

当時は、おてふりもあまりできない、教理も身に付いていない状態。その自分が唯一、人様にさせていただけるご用がおさづけだった。

教祖はすぐに私の思いに応え、気付かせてくださった。「教祖はおられる! ご存命や! ご用を与えてくださった! 居てもいいんや!」

あれから10年。妻と子を授かり、家族でこの道を歩ませていただいているが、この経験は教祖と私の元一日となっている。

親の祈り

ある時、この経験談を先輩に話す機会があった。 「教祖が居ていいんだよって後押ししてくださったんですよ!」
と自慢げに話をした。その話をひとしきり聞いてくださった後、その方から思いもかけない返事があった。

「それさぁ、確かに教祖の思いがあるからこそだけど、そこに行き着くまでに、きっとご両親が君のことをお願いしてくれていたと思うよ」と話してくれた。

その時、ハッとした。今まで教祖が導いてくださったと思っていたが、そのお働きは親の思いを受けてのお計らいだったのか!?

でも本当なのか? そう思うと確認したくなった。恥ずかしかったが勇気を振り絞って母に聞いてみた。
「20代の頃、身も心も定まらず中途半端に生きていた時期があったけど、あの時どう思ってたん? 心配掛けてたんやと思う。今更やけどごめんなさい」

すると母は、

「お母さんは信じてたよ。ずっと祈ってたよ。お父さんは、お前が道から外れるような通り方はしていないとキッパリ言ってたよ。そして黙って見守ってくれていたよ」と。

その言葉を聞いてありがたくて嬉しくて泣いた。

まだまだ自身の考えは親の思いに沿えていないが、わが子が自分と同じように何かにつまずいたり、迷わぬようにしっかり祈り、お道につながらせてもらおうと思う。

今、与えていただいている幸せを味わいながら、あの時の教祖との元一日、そして親が祈ってくれたことを胸に、感謝の心で日々過ごしていきたい。

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