第7回 正直、働き

おやさまは、「正直」ということについて、

蔭でよく働き、人を褒めるは正直。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 111 朝、起こされるのと

とおっしゃいました。

人が見ているときは働くけれど、人が見ていないときはサボる。
それでは神様は受け取ってくださいません。
人の見ていない蔭でこそ、よく働き、誠を尽くす。
その通り方をこそ神様は見ておられる。
まったく、人の運命は蔭の徳で決まると言っても言い過ぎではない、と思います。

そして、蔭で人を褒めるのが正直。
これは実に深い言葉だと思います。
普通正直といえば、うそをつかない、人にこびたりへつらったりせず、思ったことをそのまま真っすぐに表現するのが正直かと思いますね。
確かにそれも大切なことで、正直の一つの姿には違いない。
けれども、おやさまは、蔭で人を褒めるのが正直、とおっしゃった。

これはいったいどういう意味なんだろう。
どうして人を褒めることが正直なんだろう。
不思議な言葉だ、と私はずっと思っていました。

しかし、ある体験から、今まで褒められなかった、内心不足に思っていたような人のことも、蔭で褒められるようになったとき、感謝できるようになったとき、初めて本当の自分に出会えるんだ、ということに気付きました。

そうして出会える本当の自分というのは、今までこんな自分がいるとは思わなかった、自分の中にはこんな自分がいたのか、というような、自分にとっても見知らぬ自分、まったく新しい自分です。
ああこれが本当の自分じゃないか、と思えるような自分です。
そういう自分に出会える。

今まで、困った人だ、と思っていたような人に対しても、「神様が出会わせてくださった。あなたのおかげです。私はたすけていただいています。ありがとうございます」と、相手に感謝する、褒める。
その心が、まったく新しい、本当の自分に出会うための鍵になるのです。

逆に、蔭で人の悪口を言うことについて神様は、

蔭口は重罪の罪

『おさしづ』 明治23年11月22日 意訳

と仰せられて、厳しく戒められています。

しかし、人は弱いもので、なかなか誰のことも蔭で褒めるということは難しい。
一体どうしたら、どんな人のことも褒められるようになるのでしょうか。

ここで、おやさまが「蔭でよく働き、人を褒めるは正直」と仰せられた、この順番が大きな意味を持っているように思うのです。

蔭でよく働くことによって、親神様(おやがみさま)がその真実を受け取って、胸の掃除をしてくださり、その結果、今まで褒められなかった人の、今まで気付かなかった良さに気付くようになる。
その人たちのことを「ようこそ」と受け入れられるような思案が浮かぶ。
そうして、どんな人のことも褒められるようになったとき、今まで自分でも気付かなかった、本当の正直な自分に出会えるのです。

続けて、おやさまは、

聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 111 朝、起こされるのと

とおっしゃいました。

親神様から教えられたこと、親から言われたこと、そうしたことを直ちに実行せずに聞き流していて、そのうちにいつの間にかすっかり忘れてしまっていたりすると、知らず知らずのうちにその身がうそになってくる。

その身がうそになってくる、というのはどういうことでしょう。
うその反対は真実ですが、この真実の「真」という字は、いっぱいに詰まっている、充実しているという意味があるそうです。(『学研・漢和大字典』参照)

つまり、うそになるとは、いっぱいに充実していた親神様のご守護が欠けてくるということですね。
そうすると、何かしら心が勇めないとか、何か困ったことが起きてきたり、身上(みじょう)に現れてきたりということになってくる。

しかし、これは逆に言うと、神様から聞いたことを真っ正直に実行していると、その身が真実になってくる、どこから見てもなるほど、という姿が現れてくる、ということだと思います。

そんなに難しく考え込まなくても、無理に力まなくても、親の言うこと、親神様の教えを直ちに実行させていただいたら、知らず知らずのうちにその身が真実になってくるのです。
本当にありがたいことですね。

もくじ

「働き」とは

おやさまは続いて、「働き」ということについて、

もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 111 朝、起こされるのと

とおっしゃいました。

これは、あるスポーツクラブのコーチの話ですが、練習のノルマを果たしているだけでは、選手としては伸びないのだそうです。
では、何が選手として伸びるもとになるのかというと、自分はこれを練習するんだという自主的なプラスアルファの部分、それが選手として伸びるもとになるのだそうです。

これはスポーツの世界に限らず、どんな世界でも言えることだと思います。
みんながやるからやらなければならない、ではなく、私はこれをさせてもらいたいという自発的な働き。
そこにこそ正味の真実の心がこもるのではないでしょうか。
これをこそ神様が十二分に受け取って、一粒万倍(いちりゅうまんばい)のご守護を下さるのです。

「朝起き、正直、働き」の実行

「朝起き、正直、働き」とは、お道を通る者の基本であり、常識のようですが、それを生涯守り貫くことは非凡なことだと思います。

私たちは、この三つの教えを、しっかり握って失わんように、たとえすぐにすべてを実行することはできなくても、決してあきらめて途中で放り出してしまうことなく、何度でも何度でも心に定め直して、歩んでいきましょう。

つづく

※『Happist』2012年10月号掲載

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