140年前の楽しみ
今からおよそ140年前、おやさま(教祖)がその身を隠されました。
明治20年2月18日。陰暦(月の満ち欠けの暦)では1月26日。
おやさまが90歳のときです。
人々は深く悲しみ、大きく動揺しました。
おやさまは以前から「人間の定命は115歳」と教えられており、それからすると25年も短いことなります。
おやさまは、なぜお姿を隠されたのか……
115歳と仰っていたのに、なぜ90歳で……
それから5日後におやさまのご葬祭が行われましたが、いまだ人々は深い困惑の中にいました。
そうした中で翌日、本席様の口を通して、神様から次のような「おさしづ」がありました。
さあさあ分からん分からん、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしても、こうしても、すっきり分からん。
明治20年2月24日
まず、このような人間の気持ちを汲み取ったお言葉から始まりました。
なぜ115歳のところが90歳なのか、なぜおやさまが身を隠したのか、何にも分からないだろう、と。
そして、続けて
だからこそ定命を二十五年縮めて、たすけを急ぎ、扉を開いて、世界を平らにしようと踏み出た。
同日
おやさまは、天保9年以来、「神のやしろ」(社・神のいる場所)という立場で親神様の思いを伝えてこられました。
そして、ここではその「やしろ」の「扉を開いて」と表現され、これからおやさまはその身を超えて世界たすけに働いていくと諭されています。
しかし、その身を隠して人だすけに働かれるとはどういうことでしょうか?
続けて
神でなくて、この自由自在の働きは出来ないだろう。止めるに止められようまい。神は少しも間違ったことは言わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのような事を見ても、みんな楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々その時々に応じて話をする。
同日
例えば、おやさまは、その手で妊婦のお腹を撫でて、安産のための「をびや許し」を出されました。
身を隠された後は、当然おやさまがその手で撫でてくださることはありません。
しかし、それでも同じように「をびや許し」の不思議な働きが現れて、現在まで多くの人がたすかっています。
私たちが取り次ぐ「おさづけ」や、おぢばで頂く「おまもり」なども同様です。
つまり、そのお姿を拝することはできませんが、おやさまの人だすけのお働きは今も変わらずに頂くことができます。
まさに、おやさまが存命同様にお働きくださっていることの証といえるでしょう。
そして、この「おさしづ」では、そうしたお働きがこれから世界に現れていくことの楽しみが語られています。
140年前の楽しみ。
それは、今を生きる私たちこそが味わえる喜びではないでしょうか。
「おさしづ」の言葉に支えられながら、世界たすけに向かってご存命のおやさまのお供をさせていただきましょう。
長らくご愛読いただき、誠にありがとうございました。
明治20年2月24日(陰暦2月2日)午後7時
御諭
さあ/\分からん/\、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしても、こうしても、すうきり分からん。故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。神は一寸も違うた事は言わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々刻限話をする。