恩に報いるために
口は人に優しい言葉をかけるために使おう。
目は人のいい所を見つけるために使おう。
耳は人の話を最後まで聞くために使おう。
手足は人の役に立てるように使おう。
心は人の傷みがわかるために使おう。
これは不慮の事故で半身まひとなった教師が、受け持つ生徒に向けた卒業式でのはなむけの言葉である。
人はそれまでの当たり前が当たり前でなくなった瞬間、これまでの有難さに気付かされる。よく「有難う」の反対語は「当たり前」と聞くが、だから「有ることが難しい」と書くのだろうか。
私たちは自分一人の力だけでは生きてはいけない。それぞれの命は身の周りから享受される恩あればこそで、それは産み育ててくれた親の慈愛、師への敬慕や友情などの人に世話となる人恩もあれば、衣食住をはじめとする数限りない物質の恩恵、物恩あってのことだが、でも、それ以上に忘れてならないのが神恩、知らぬうちに恵まれている親神様(おやがみさま)の御守護、「ご恩」なのである。
最近、恩という言葉を聞くことが少なくなった気がするが、私が育った昭和のテレビは、「この恩知らずがっ!」「この親不孝者っ!」と言って、親が子の頬を打つシーンはおなじみであった。
ずっと以前に、「水を飲む人は井戸を掘った人のことを忘れてはならない」と聞いた。生きる上で食べたり飲んだりできるのは、その陰での人の働きがあるから「お陰さま」と言うのかも知れないが、幼き日、「お米という字は、八十八の手間暇がかかっているから、あの漢字になったのよ」と、優しく教えられた家族だんらんの様子が思い出される。
『稿本天理教教祖伝』に、末娘のこかん様が、
「お母さん、もう、お米はありません。」
と言ったところ、教祖は、
「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお與え下されてある。」
第三章「みちすがら」40貢
と、くずおれそうな子供の心を励まされたと記されてある。
今思えば亡き両親からも、「〇〇のお陰」と、いつも言われていたことに気付く。五体満足が当たり前と思っている時は、不自由な世界は想像しにくいものだが、この当たり前に対する「有難い」の感謝の心を忘れず、また、それを多くに伝えることを当たり前に遠慮しないでおきたい。
大恩忘れて小恩送るような事ではならんで。
『おさしづ』明治34年2月4日