最終回 ひのきしん

もくじ

はじめに

皆さんは、「ひのきしん」と聞いてどんなことが頭に浮かびますか。

こどもおぢばがえりでさせていただいた廻廊ひのきしんや土持ちひのきしん。
あるいは、毎年4月29日の全教一斉ひのきしんデーのような大きな行事、また災害救援ひのきしん隊のようなおたすけ活動など、ひのきしんにはさまざまな形態があります。

そこで最終回は、少し難しい内容になるかもしれませんが、この「ひのきしん」の由来を尋ねて理解を深めたいと思います。

天理教の歴史で最初に「ひのきしん」という言葉が出てくるのは、おやさまが慶応2年(1866)頃から教えられた「みかぐらうた」の

やむほどつらいことハない 
わしもこれからひのきしん

三下り目 八ツ

の一節と言われています。

おそらくこの頃に信仰を始めた人たちが最初におやさまからひのきしんを教わって実践した人たちだと思われます。

本席・飯降 伊蔵 先生

その中の代表的な先人に、後に本席(※存命の理を受けて、おやさまの代わりに「さづけ」を渡し、「おさしづ」を与えられる立場)となられる飯降伊蔵先生がいました。

飯降先生は、おやしきから2キロほど北に位置する櫟本に住む大工で、奥さんが二度目の流産で体調を崩して寝たきりになり、八方手を尽くした末に人づてに庄屋敷村(しょやしきむら)の生き神様の噂を聞きつけ、おやさまを訪ねておたすけを願いました。
おやさまは、「待っていた。待っていた」と喜ばれて、不思議にも奥さんの病は三日のうちに鮮やかにご守護いただきました。

飯降先生は、前の奥さんを産後の患いで亡くしていたので、その感激と喜びは相当なものであったと思います。
その後、飯降先生は全快した奥さんを伴っておやさまの下へお礼に参り、夫婦で相談してお礼にお社を作ってお供えすることを申し出ました。

するとおやさまは、「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」と仰せになりました。
実はその時おやしきに集まっていたほかの熱心な信者たちが、日頃から大恩あるおやさまが粗末な家に住んでおられることを申し訳なく思っていたこともあって、このお言葉を受けて早速相談し、おやさまにお住まいいただく建物を新築させていただこうということに決まりました。

信者たちは、その場でそれぞれに費用や瓦や材木や畳などの材料を引き受ける約束をしました。
中でも飯降先生は、自ら大工仕事のすべてを引き受けました。

普請は順調に進みます。
しかし、棟上げが済んだ時にある事件が起こって、それ以来信者たちがパッタリとおやしきに寄りつかなくなってしまいました。
しかし、その中を飯降先生だけは、一人おやしきへ通い続け、後の始末のすべてを引き受けて建物を完成させたのでした。

その間、飯降先生は、貧しい暮らしの中にもかかわらず、一文の報酬も受けずに手弁当でひたすらお礼奉公に明け暮れたそうです。もちろん奥さんの支えがあったからこそできたことでもあります。
飯降夫妻をそこまでさせた原動力とは、いったい何だったのでしょうか。
それはひとえに無い命をたすけてくださったおやさまに、何とかお喜びいただいてご恩返しをしたいという報恩の思い一すじだったのだと思います。

この飯降先生の真実によって建築された建物は「つとめ場所」と呼ばれ、天理教の歴史で最初の信者のひのきしんによって建てられた建物となりました。
そして、おやさまは、このつとめ場所で慶応2年よりみかぐらうたを教え、おつとめの手をつけられたのでした。

みかぐらうた十一下り目は、当時やこれ以後おやしきに尽くし運ばれた、飯降先生をはじめとする先人たちのひのきしんに勇む様子を彷彿させます。

ひのもとしよやしきの 
かみのやかたのぢばさだめ

一ツ

ふうふそろうてひのきしん 
これがだいゝちものだねや

二ツ

みれバせかいがだん/\と 
もつこになうてひのきしん

三ツ

よくをわすれてひのきしん 
これがだいゝちこえとなる

四ツ

いつ/\までもつちもちや 
まだあるならバわしもゆこ

五ツ

ひのきしんとは?

ひのきしんは、漢字にすると「日の寄進」と書きます。
「寄進」とは、昔から神仏に金銭や物などを奉納することを言いました。
そして「日」とは、「日々」「日常」あるいは時間を表していると言われています。
これらを合わせ考えると意味するところは「日々の寄進」または「日常の寄進」と考えるのが自然な捉え方だと思います。

ここからは私論ですが、おやさまが教えを説かれるまでは、一般的に神への寄進というものは、何か特別なお礼事や節目があった時にしかしないものでした。

しかし、おやさまの教えに照らせば、そもそも月日と称される親神様のご守護お恵みは一日一日変わらず下されているものであり、人間はそのご恩を日々に頂いているわけですから、それに応えて人間の側も日々にお礼をさせていただくのが本来のあり方だと思うのです。

まわりくどい言い方をしましたが、ひのきしんとは、日々に下さる親神様の生命のご守護に、人間が日々あるいは日常に感謝を捧げてお礼させていただくことと言えます。

『天理教教典』には、ひのきしんについて次のように説明されています。

日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる。

76ページ

そして、また、

ひのきしんは、信仰に燃える喜びの現れで、その姿は、千種万態である。必ずしも、土持だけに限らない。欲を忘れて、信仰のままに、喜び勇んで事に当るならば、それは悉くひのきしんである。

78ページ

と教えられています。

広い意味では、この「ひのきしんの態度」でさせていただくことならば、どんなことも「ひのきしん」になりますが、あくまでも心の向かう先は、親神様への報恩感謝の思いでさせていただくことがひのきしんの肝心な点です。

感謝と喜びの心で


私自身も信仰者の一人として、ぜひ飯降先生のように毎日おぢばのおやさまの下へ通って何かひのきしんのご用を勤めさせていただいて、徳を積ませていただけたらよいのになあと思うのですが、普段はおぢばから遠く離れた地に住んでいますので、そういうわけにはいきません。

そこで私の場合は、その代わりに毎日教会で親神様におぢばへの日々の寄進として、わずかのばかりのお供えをさせていただくことにしています。
教会は、親神様からお許しを頂いて設立されるものですから、ぢばへとつながる私たちのひのきしん場所でもあります。

学生時代に一日100円から始めて、家庭を持ってからは家内と子どもの分で一日300円、教会長になってからは一日1000円と、身を慎んで立場と責任に応じて少しずつ額を増やしながら欠かさず続けさせていただいています。

一月や一年でまとめてお供えしてしまえばいいのにと思われる方もあるかも知れませんが、おふでさき(号外)に、

にち/\に心つくしたものだねを 
神がたしかにうけとりている

とお聞かせくださいますように毎日させていただくのが良いのです。

そうして日々に親神様にお礼をしてひのきしんの態度で一日を通らせていただくと、どんな一日であっても感謝と喜びの心で大切に通ろうという気持ちが湧いてきます。
そして日々うれしい気持ちでいると、不思議なことに親神様とまるで太いパイプでつながるかのように、先回りのご守護とお連れ通りを感じて結構に通らせていただけます。

おやさまが教えられる教理は、どこか別世界のことではなくて、人間の本当の生き方を教えてくださっています。
その意味で、信仰とは人の生き方そのものであると思うのです。

ひのきしんとは、親神様への感謝、お礼の行動であると同時に、一日一日を大切に生きる習慣であり、天理にかなった生き方の基本であります。
皆さんも、日常からひのきしんの態度を心掛けて、親神様にお受け取りいただける日々を通らせていただきましょう。

おわり

※『Happist』2010年5月号掲載

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