教祖と夕日を
おぢばの様相は、昔と随分変わった。私が幼い頃は、木造の住宅や詰所がたくさんあった。小学生になり、東西礼拝場の普請が始まった頃と前後して、鉄筋コンクリートのものに変わっていったように思う。
今まであった空き地や木々がいつの間にかなくなっていたり、何もなかった所に建物や駐車場ができていたりということが日常的にあった。そんな姿を、時には寂しく、時には誇らしく感じていた。
私の任地であるシンガポールは、経済成長が著しく、急速に開発が進んでいる。こんな様子を誇りに思っている人も多いことだろう。
いざ天理教校へ
昔から私には変な癖というか性分があった。ある場所に行くと、そこにゆかりのある人に会えると思ってしまうのである。例えば、法隆寺に行けば聖徳太子に会える、そんな感じである。
本部会議所の前の広場で、夕方になるとラグビーボールをドリブルして、運動をしていたおじさんがいた。今はもういないのだが、そこを通り掛かると、そのおじさんに会えるような錯覚に陥ってしまう。
本部神殿の近くにあった池のほとりで、コイやカメにやるための麩を売っているおばさんがいた。もう池はないし、おばさんもどうしているか分からない。でも、その辺りを通るときはいつも、そのおばさんに会えるような気がしてくる。
高校、大学と卒業した後、天理教校本科(現天理教校本科研究課程)にて学んだ。一生をお道にささげる志の者は、天理教校の門をくぐることが欠かせないと、助言してくれる人がいたからである。
実際、そう決めた者にとって、本科は天国のような所であった。ありとあらゆる文献がそろっている中、天理教の勉強をするということが、こんなに楽しいことだとは思わなかった。朝昼晩と、おやさとやかた真東棟にある、本科の研究室に入り浸った。
ところが、心は何かすっきりしない。それは、教理の知識は増えるものの、教祖は存命で実在するのだということが、一向に体感できなかったからだ。
何かつかめるのではないかと思い、毎日『稿本天理教教祖伝』に関わる本を読んだ。「教祖は本当におられるのか?」これが本科在学中を通しての、私の問いである。
教祖を身近に
ある日、研究室で勉強していると、紙を貼って遮光してあるガラス窓から、うっすら夕日が差し込んできた。ちょうど私は件の教祖伝関連の本を読んでいた。
夕づとめに行こうと思って外に出ると、東の山の緑がまばゆい朱色に染まっている。おぢばに長年住んでいながら、こんな景色は今まで見たことがなかった。「昔にもこんなことがあったのだろうか。教祖もご覧になったことがあるのだろうか」。そんなことを考えながら、教祖が昔住まわれ、今もなおとどまられている所に居るにもかかわらず、「教祖に会えるのではないか」と思うことが今までなかったということに気付いた。
「ああそうだ。教祖はお屋敷からこの山を毎日のようにご覧になっていたのだろう」。そう思った途端に、いつでも教祖に会えるような気がしてきた。そして、教祖も見ておられたであろう同じ落陽を見ながら、教祖がすぐ隣にいらっしゃるような気がした。
それ以来、教祖の存在がぐっと近くなった。お姿は見えずとも、話し掛けることはできるだろう。そう感じられたのがうれしかった。
久しぶりにおぢば帰りをした。この原稿もおぢばで書いている。蒸し暑い南洋から帰ると、秋の涼しい気候が心地よい。時折雨が降る。風もある。どうやら台風が近づいているらしい。「これから雨風が強くなるそうです。どうぞみんなをお守りください」。
日々に現われて来るふしぎなたすけこそ、教祖が生きて働いて居られる證據である。
(『稿本天理教教祖伝』)
生涯懸けて、教祖が生きて働いておられる姿を求めるのが、私たちの使命である。