あなたの家のトイレは誰がキレイにしているの?
以前、年末恒例の『NHK紅白歌合戦』に植村花菜(うえむらかな)さんが『トイレの神様』という曲で初出場し、話題を集めました。
これは、トイレにはキレイな女神様がいるから、掃除するとベッピンさんになれると、植村さん自身が祖母から教えられたことを曲にしたものです。
孫娘に幸せになってもらいたいという植村さんの祖母の思いが込もった素晴らしい歌詞は、年代を問わずみんなの心に響く一曲だと思います。
ちなみに男性の場合は、トイレを掃除するとベッピンのお嫁さんが来るそうです。
トイレは実に不思議で魅力的な所です。
ある会社の社長さんは、一番に出勤して、まずトイレ掃除をするというお話も聞いたことがありますが、実際にトイレを掃除すると、何とも言えぬ爽快感が湧いてきて、うれしい気分になった経験を持っている人は少なくないでしょう。
エピソード1
私にはトイレに関して忘れられない記憶があります。
それは今から18年前のこと。
朝起きると、胸に痛みと不快感があり、全身に冷や汗をかいていたので、丸一日横になっていましたが、症状は治まらず、翌日病院に駆け込みました。
すると、心臓を動かす管の3本のうち2本が詰まっているとのことでしたので、即刻入院し、治療していただくことになりました。
3週間の入院生活の中で最もつらかったのが、トイレでした。
全身に力を入れて気張るたびに、心臓が全身に血液を送ろうと懸命に働き、胸の鼓動が一層激しく打ち鳴らされます。
故障中の心臓ですから、止まりはしないかと常に心配し、わが胸に手を当てながら用を足している時、さまざまなことが頭に浮かんできました。
身体は誰のもの?
私は生まれてから今日まで、心臓に動けと命じたことは一度も無く、身体に手を入れて動かしたこともありません。
けれども、目に見えぬところで、一分一秒休むことなく動き続けていることに感心すると同時に、これは人間の知恵や力で成せる業ではなく、神様のお働きであり、つくづくありがたいことなのだと感じ入りました。
よくよく考えてみると、心臓から送り出された血液は、血管を通じて全身にエネルギー(栄養)として行きわたり、それを動力源として活動できているのです。
そして、私たちの体温(ぬくみ)を保つことができるのは親神様(おやがみさま)の「をもたりのみこと」のお働きによるものなのです。
このことで、身体は自分のものではなく神様からお与えくだされているものだと心から実感しました。
にんけんハみな/\神のかしものや
『おふでさき』 3号 126
神のぢうよふこれをしらんか
“ありがとう”感謝の言葉を何回言っている?
私たちは食事を頂くとき、動物や植物の命を頂いていることから、その恵みに対して「いただきます」あるいは「ごちそうさま」といった感謝の言葉を口にしています。
食べ物を体内で消化、吸収し、排泄するのは(飲み食い出入り)、「くもよみのみこと」のお働きなのです。
私は入院中の経験から、食事を口にする際はもちろんですが、用を足すときにも、その都度、心の中でお礼を申し上げるようになりました。
それによって、これまでは当たり前のように考えていた身の内のお働きに対して、意識して通らせていただくことができ、また、以前より毎日を心明るく過ごすことができるようになったと思います。
そして、「ありがとう」、「ありがとうございます」といった感謝の言葉を口にしたり、心に思ったりすることが増えれば増えるほど幸せであり、そう言える相手が多くいて、支えてくださっているからこそ、日々を安心して暮らすことができるのだと最近では考えるようになりました。
ナゼ病気になるの?
ところで、私たち人間に「陽気ぐらし」をさせてやりたい、幸せにしてやりたいとお考えになっておられるはずの親神様は、なぜ私たちにつらく、時には苦しい病気をお見せくださるのでしょうか。
かわいい子どもにつらい思いをさせたい親は誰もいないと思うのですが。
親神様はそのことについて次のように仰せくださっています。
人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る
『おさしづ』 明治22年2月14日
私たちの身体は神様からみれば人間に貸しているもので、人間からみれば神様から借りているものですが、それぞれの心は自分のもので、自分自身の思うように使うことができるということです。
ただし、心の使い方によって、昨日の行動の結果が今日現れてくるように、自分にとって都合の良いことも悪いことも心通りに現れてくると仰せくだされているのです。
心と身体の関係を分かりやすく例えれば、次の図のように考えられるのではないでしょうか。
お互いの日々の心の使い方が親神様の思召に沿っていて、親神様の大きなご守護にお礼させていただくとともに、人様にも喜んでもらいたい、幸せになってもらいたいとの心で通らせていただけば、前方も広がって、道も間違うことなく、おのずと神様のご守護を頂いて、陽気に暮らさせていただけます。
逆に自分さえ良ければ人はどうなっても良いなどと思召に沿わぬ心使いを重ねていると、だんだん心が曇って前が見えなくなり、神様から見て“危ない”という状況のときには、身体に病気というサインを付けて、そこに込められたメッセージをもって私たちに進路の修正を促されるのです。
私の場合、心臓の管が詰まったのは、思い詰めた心の悩みが原因であったと思います。
心の中で人を冷たく追い詰めたことで、ぬくみのお働きをいただく所が詰まってしまったのだと気付かせていただくことができました。
私たちは毎日、神様から陽気ぐらしをするためのメッセージをたくさん頂戴しています。
あなたは今日、何を受け取りましたか?
つづく
※『Happist』2011年1月号掲載