松田理治「ホームランの走塁練習」

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ホームランの走塁練習

「私の愛するものは、神、家族、そして野球。しかし困ったことに、シーズンが始まると、この順番を多少入れ替えてしまうんだ」 私がアメリカ留学時、高校の野球部の2軍監督を務めていた、アル・ギャラガー氏(以下コーチ)の言葉である。私も彼と似たところがあるのかもしれない。でも、どんな順番になるかは内緒にしておこう。

アメリカプロ野球のオンライン版年鑑を見てみると、コーチは1965年にドラフト1位でサンフランシスコ・ジャイアンツに入団。1970年から73年までメジャー・リーグで活躍し、けがで引退してから2010年までマイナー・リーグや独立リーグの監督を歴任した。何でそんな人がうちの2軍にいたかというと、一時期プロの世界を離れ、小学校の教員をしていたころ、請われてうちの高校で指導していたのだ。先ほどの彼の言葉も、そんな年鑑の一つに掲載されている。

守備だけのレギュラー

私は1年の時は2軍のセカンドの控えで、2年になって2軍のレギュラーになった。打撃に難があるものの、それを克服して、最終年次は1軍を夢見ていた。しかし、世の中そんなに甘くない。

シーズン最初の試合で、打順表に4番DH(指名打者)・ゴンザレス、5番ピッチャー・ロペスとあった。ピッチャーにDHを出さないのかと思って、9番バッターまで見ても私の名前はなく、その下の欄外にセカンド・マツダと書いてある。

DHは、プロではピッチャーの代わりにしか出すことができないが、アメリカの高校野球では他のポジションでも構わない。ピッチャーがチーム1、2のバッターだということもよくある話である。

要するに、私に指名打者が適用されたのである。自分が打席に立つことのない試合が続いた。バッターとしての居場所が欲しい。でも、打撃は一向に上達しない。守るだけが自分の仕事だということを、認めざるを得ないのか? 試合に出られないやつよりはよっぽどましだという考えも持てなかった。

チームメートは、こんな私を心の中で笑っていることだろう。コーチは何も言わない。毎日毎日、親神様に、この苦しみを取り除いてくださいとお願いした。親神様も何もおっしゃらない。

逆転ホームラン

ある日のこと。練習の最後にコーチは、「ホームランの走塁練習をするぞ」と言った。どういうことかというと、ホームランを打ったと仮定し、ダイヤモンドを一周する練習であった。

息抜きの意味もあったのだろう。悠々とベースを回る者、ガッツポーズをする者、手を広げて空を仰ぐ者など、皆楽しそうに思い思いの走り方をした。ところが私は全速力で走った。半ばやけになっていた。

その後、コーチはしばし考えてこう言った。「さっきの走塁で一番良かったのは誰だと思う? マツ(私の高校時代のあだ名)だ。

あれはランニングホームランの走り方だ。彼の力ではボールをスタンドに放り込むことは、到底できない。彼がチームで一番、自分自身を分かっているし、自分の役割を受け入れている。そう思わないか?」

チームメートから、やんややんやの喝采である。これで心の曇りは晴れた。考え過ぎだった。自分を笑っていた者なんて、誰もいなかった。コーチは私が苦しんでいるのを知って、こう言ってくれたのかどうか分からないが、親神様はこんな形で私の願いを聞いてくれたのだと感じた。

むしやうやたらにねがひでる
うけとるすぢもせんすぢや

(六下り目 六ッ)

先日、コーチに25年ぶりに連絡を取った。メールアドレスは、彼が監督をしていた球団が快く教えてくれた。彼からこう返ってきた。「やあ、マツか。君が幸せな人生を送っていることは想像できるよ。だって良き人間には良きことが起こるはずだからね」

中年になっても、悩みがないと言えばうそになる。この言葉で、またちょっと楽になった。

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